不動産の仕事を40年近くやってきました。

賃貸、管理、売買、破綻処理など、歳を重ねるに従って、その内容も変わってきました。

変わらないのは常に弱いものの味方であり続けたことです。弱いと言っても自業自得の場合は因果の問題なので仕方ありませんが、不幸にも巻き込まれて出口が見つからない善良な方の味方をしてきました。

 

 

人生の買い物の中で大きな比重を占めるのが不動産になる方が多いと思います。

そしてその重さを感じるのは、人生がうまく行かなくなった時の方が多いです。

 

私が普段に気をつけている事は、仕事の相談を受けて、解決へ向けての青写真ができると、まず神社庁に連絡を入れて、自分がさわる土地を管轄する神社を調べます。

 

そして、その神社にご挨拶に行きます。

験担ぎというより、一つの礼儀だと思っています。

今回、ゆえあってこの地の不動産をさわります。どうか最後まで、つつがなく事が運べますようにと祈ります。

神仏の存在は分かりませんが、自分の中に覚悟ができます。

 

いま、スピリチュアルブームですが、私はいわゆる霊感というものは持ち合わせていません。 

ただ、人生の中で比重の多いものを触る時には、その責任の重さで気持ちが引き締まるため、どうしても神社に足が向かいます。

 

神仏には頼るのでは無く、自らの仕事に対する潔白な姿勢を明らかにする事を大事にしています。

 

現在も、いくつかの仕事を頼まれています。相続に関するものが多いです。

本来はこのブログで書いている日本語の音の世界を広める事に力を注ぎたいのですが、縁によって舞い込んで来た仕事や相談は自分のできる限りの事はやりたいと思っています。

 

毎回思うのは、関わる当事者が、欲を押さえる事、感謝の気持ちを忘れない(思い出す)事で多くの部分は解決の方向が見えてきます。

 

 

その上で、自らの思い込みの世界に入らず、その解決法を知る実力のある方々に相談してみます。どんな不動産でも様々な解決の方法は存在します。

その中で、ベストにわりと近い着地点を探すのが仕事です。

 

危険な仕事ほど、反社会的な人物や組織、地面師といったジャンルの人が出現してきます。

欲にまみれた不動産ほど、その確率は高いものです。所有者のそれまでの生き方も現れて来ます。

 

今は目に見えないものを信じないような時代ですが、静かに冷静に考えてみると、災いを呼んだのは自分自身の中に原因がある事が多いです。

 

騙されないようにするには、やはり、自分の身の回りだけでも、しっかり掃き清める事だと思います。

詐欺師の連中を、掃き清めたシーンとした空間に置くと、とたんに落ち着きがなくなります。

瞑想的空間というか、そんな静かな空間を作ると詐欺師予防にはなります。

 

20年ほど前ですが、とある銀行の保証会社の本部長さんと取引でご一緒したことがあり、その後複数回の取引がその銀行系列でお会いする事がありました。

その時に、あなたと仕事するとなんだか神社にお詣りに行った気持ちになる。いつも立場的に支払いができなくなった人を追い込んでいくので、弱いものいじめをした感覚が残るが、君と仕事をすると人助けをした感じが残ると言ってくださいました。

このような言葉が出るのは、その方の心に善なるものが残っていたからだと思います。

 

神社に鏡が置いてあるのはそういう事だと思います。自分を写す。

 

何歳になっても、毎日、試されますが、日々大事な事を忘れずに取り組めば、それが自らの血となり、人格になって行くと思っています。

 

良き人に出会うには、自分を磨かないと、出会えません。

類は友を呼ぶとは、周波数の事だと思います。

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。