日本語の訓読みで時間の事を「とき」(TOKI)と言います。

「と」(TO)は(T)と(O)から出来ています。

(T)は闘いや創造、孤独感の世界になります。これに(O)を伴う事で、(T)の世界はより攻撃的で破壊的な方向性を持ってきます。

日本の首都は東京(TOOKIYOO)です。

時(TOKI)に「よ」(YO)の感情の闘争の世界が加わります。

 

東京の都知事選挙の記事を見かけますが、まさに(TO)と(YO)の世界を表しています。

 

一般に(O)の世界は力が強く、短期的な視点で動く時には力を発揮します。経済の力を発揮するには渦の力の強い(O)の世界は適しているのかも知れません。

(O)音の次元の力は凄まじく、堂々巡りの世界を生きるため、(O)の次元に耐えられる、もしくは上手く力を抜いて付き合える方が東京では長く生活できるのだろうと思います。

 

40年前にトキという鳥が絶滅の危機を迎えたニュースがあった時に、音の世界を教えてくれた師がトキ(TOKI)ではなくタキ(TAKI)と呼ばれていたら、こんな状況にならなかったのにねと言われていました。音に対する人間の集合意識の影響を考えるきっかけになりました。

 

英語では日本語の時(TOKI)をTIME(TAIMU)と読んでいます。この音の方が、時間の使い方や捉え方に余裕があり、より広い視野を持つ事が出来ます。

 

以前も書きましたが、時(TOKI)の事を(SIDA)と表現した万葉の時代が日本にありました。豊かな時代の流れがあったのだと想像できます。

 

人は急ぎ出すと渦の力を作ります。時間を急ぐように自転の方向(東)へ移動します。(A)の世界から(O)の世界へとシフトしていきます。渦の力に適しているのは、先程述べた「お」(O)や同じく闘争の世界に強い(E)の世界になります。

そう考えると江戸(EDO)→東京(TOOKIYOO)への流れはうなずけます。

江戸(EDO)の前は武蔵(MUSASI)と、より、緩やかな流れの音を使っていました。

 

いつの日か、時(TOKI)を(SIDA)と呼ぶ心の時間がゆっくり流れる日本になると良いなと思いますが、それは日本の首都が大きく西の方向に移動するタイミングかも知れません。

日本人が忘れてしまったものを思い出す時(TOKI)。

 

私たちにできる事は、テレビやスマートフォンから遠ざかり、時間を急がない空間を増やす事でしょうか。

 

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。