皆さま、こんにちはラブラブ

 

ライトランゲージ)トランスレーター

こと、水月千歳(みづき ちとせです☆
 

 
 天河大辨財天社を後にして、こちらは七尾山 陽明門
役行者(えんのぎょうじゃ)が大峰山(おおみねさん)の修行起源となった
七尾山(または照山)〟標高1400M  登拝手続きを行う場所です。
 
 古来、大蛇が棲息し、人に危害を加えると言われ、入山する人が無かったので蛇の倉とも。
 
ここからほど近く、奈良県吉野郡天川村にある洞川湧水群(どろがわゆうすいぐん)に来ました!!
 
三種の湧き水「ごろごろ水」、「泉の森」、「神泉洞」のうち、「ごろごろ水」を採水しますウインク
 
大峰山系を流れる水は花崗岩石灰岩の特異な地質により、
自然なフィルターでろ過された、永年カルシウムを含んだ、アルカリ自然水。
環境省選定「名水百選」・国交省認定「水の郷百選」・奈良県選定「やまとの水」にも選出されました。
大峰山超名水”として知られるだけあって、
身体に染みこんでいくような飲み心地が味わえます。
 

 

名水を汲みに行く途中、右を見ても左を見ても、陀羅尼助丸(だらにすけがん)と、

掲げた暖簾や看板が目立ちました。

 

陀羅尼助」とは人の名前?と思い、調べてみると〜、

 

修験道の開祖である(えん)行者が、

葛城山で修行をした後、

吉野に入り、大峰山開山した白鳳年間のこと、各地に疫病が流行しました。
天武天皇の指示で様々な対策が試みられましたが、

一向に衰える気配がありません。


そこで役行者大峰山自生していたオウバク(黄柏)と呼ばれる、

キハダの樹皮を陀羅尼経(だらにきょう)を唱えながら、煮詰めて薬を作ります。

(ここから「陀羅尼助(だらにすけ)」と名づけられる)

この薬を人々に与えると、たちまち疫病は治まり、多くの人命が救われました。

 

その後、役行者洞川の村人にこの薬の製法を伝授し、

和漢胃腸薬の妙薬として民衆の中に広まっていったとされています。

 

今の世に、役行者がいてくれるといいですねラブ

 

 

ごろごろ水」は

洞川温泉近くの五代松鍾乳洞付近から湧いています。

 

古くは「仏水秘水(ぶっすいひすい)」と呼ばれ、

大峰山参りの行者たちがこの水でを潤したと伝わっています。

この前を通ると、洞窟の奥から小石転がるような音が

ごろごろ」と聞こえることから、いつしか地元の人々から

ごろごろ水」と呼ばれるようになったということです。

 
 
洞川温泉ごろごろ水採水場」に到着ビックリマーク
 
駐車場料金¥500を支払い、採水口に向け、車をバックで停めると、バルブをひねります。
 
 
たちまち、物凄い勢いで水が「ゴーダウン」と、音を立てて、吹き出すように落ちてくるのでしたびっくり
3、4回は来てますが水の勢いは衰えることなく、バルブをひねるたび、その水量に驚きますガーン
 
断崖に設置された採水口は30箇所は設けられているでしょうか。
 
 
すぐ下を〝山上川〟が流れ、この先の天河大辨財天社の下を流れる天ノ川と合流します。
 
 
物凄い勢いで流れ出る水はタンクをいっぱいにするのに時間を要しません。
 
 
家に帰宅すると、娘から、《敬老の日》に因んでお花が届いていましたドキドキ
 
時を同じくして朝日新聞の記事も目にすることになります。
 
そこには新たな見解《古墳人》なる、種族の実在が述べられていました。
 
以下はその抜粋です。

 

 〜金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。

日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、

さらに大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって古墳人が登場したことで、現代につながる祖先集団が初めて誕生したことを示唆している。

 金沢大や鳥取大などの国際研究チームが18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表する。

 日本人の起源は、列島に住み着いていた縄文人に、大陸からの渡来集団が混血して

弥生人となり、現代の日本人につながったとする「二重構造モデル」が定説とされてきた。

 

1991年に東大名誉教授だった埴原和郎氏が唱えた。

 研究チームは、約9千年前の縄文人や約1500年前の古墳人など計12体のDNAを解読。

すでに解読済みの弥生人2体のデータなどと比較した。親から子に遺伝情報が受け継がれる際に生じるわずかな違いの痕跡から、どの集団が遺伝的に近いのかを調べた。

 

 その結果、弥生人は、中国東北部の遼河流域など北東アジアで多く見られる遺伝的な

特徴を持ち、縄文人と混血していることも確認できた。

一方、古墳人は、弥生人が持っていない東アジア人に多く見られる特徴を持っていた。

さらに、現代日本人と遺伝的な特徴がほぼ一致することも判明した。

 

■大陸からの移住、新技術持って次々に?

 大陸からの渡来人の大規模な移住は、約3千年前の弥生時代にさかのぼる。

研究チームは、それ以降も漢民族などの集団が次々に渡来し、織物や土木などの新技術を伝えて古墳時代を築き、現代の日本人につながっていったとみている。

 

 古墳時代は3世紀後半~7世紀にかけて続き、弥生時代末ごろには邪馬台国が

栄えたとされる。

 今回分析できた古墳人の骨は、金沢市で発掘された3体にとどまる。

新説を裏付けるには、さらに分析数を増やす必要があるという。

 研究チームの金沢大古代文明・文化資源学研究センターの覚張(がくはり)隆史助教(考古科学)は「日本人が縄文、弥生、古墳の三つの祖先集団からなることを示す初めての証拠だ。今後、ほかの古墳人や弥生人のゲノムを広く調べることで、日本人の起源の謎に迫っていきたい」と話している。

 論文は以下のサイト(https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419)から読むことができる。(石倉徹也)

 

■古墳時代とは――大和政権が支配し、各地に前方後円墳

 縄文、弥生に続く3世紀後半~7世紀までの時代。農耕技術の発展や武器の普及などにより権力や富みが集中して階級社会が生まれ、大和地方を中心とする大和政権が成立。

指導者たちを葬った巨大な前方後円墳が各地に造られ、武具や鏡などが副葬された。邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)や、世界文化遺産の大山古墳(伝仁徳天皇陵、堺市)も有名だ。

 
 
平和で資源豊富な日本を目指し、大陸から多くの人種が渡ってきた、激動の古墳時代。
そのまま住みついた末に今の日本があるといえます。
 
奈良に住まう「出雲族」探求から始まった旅・・・
こちらの「出雲族」は上記の《古墳人》であるとして、幕を閉じることにします。
 
 
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