たくさんのコメント、メッセージ、イイね、
ありがとうございました。

もうすぐ母が旅立ってから1ヶ月‥。

やはり、時間がたてばたつほど辛くなる。
ってのは本当ですね‥。



母の癌は、不思議な事ばかりでした。



最期は、母の病理解剖をしました。
9月18日の21時少し前に息を引き取り、
病理解剖は、0時頃に始まりました。


軽々豊富な解剖医も驚いたそうです。


結果は、年末か年始に出てくるそうです。


母は、今年の1月に
【胆嚢がん原発】
【肝臓、胆管、膵臓、十二指腸に浸潤あり】
【腹膜播種あり】

ステージ4Bの末期ガン宣告を受けました。



それから2ヶ月後の3月のPET CTで、
【卵巣に3センチの転移】
が見つかりました。


それから、亡くなる9月18日まで、
原発である胆嚢がんの進行はありませんでした。


ずっと抗がん剤をしていた訳ではありません。
抗がん剤をしたのは、8月以降の1クールと、最期の最期、1度だけです。


ずっと見てくれていた消化器内科の先生も。
草津でお世話になった先生も。
母の癌は疑問だらけだったそうです。


転移巣であるはずの、卵巣癌の進行が早すぎる。
腹水であるはずのものが、抜けない。
お腹の中で、いくつもの小部屋(蜂の巣のような)に分かれて、ドロドロの粘液が溜まっている。


可能性としてあげられるのは、

【粘液性胆嚢がん】
【腹膜偽粘液腫】
【重複癌】
【リンチ症候群】


本当の原因は何だったのか。
母を苦しめた憎き癌の正体は何なのか。


そして、何より、
本来母の中にあるはずがない、
パンパンに膨れ上がったお腹‥
これを取り除いてやりたかった。


賛否両論はあると思います。
散々痛い思いをしたのに、病理解剖なんて。
もうこれ以上痛いおもいをさせなくても‥


葛藤があったのは事実です。



でも。
ずっと母は、手術を望んでいた。



手術を受けるためにたくさん検査をした。
絶飲食も我慢した。
点滴も採血もたくさん頑張った。
食事にも気をつけた。
基礎体温を上げるためにも頑張った。
抗がん剤だってやった。


やれることは、たくさんやった。


最後の最後まで、あの人は戦い抜いた。


母はずっと手術を望んでいた。
諦めていなかった。



もちろん、残された家族として、
母の癌の本当の原因を知りたかった。


それよりも私は、母の娘として。
母の相棒として。


手術を受けさせてやりたかった。
後悔はありません。




これから、少しづつ、草津での最後の3日間の事、最期の日の事。
お通夜とお葬式の事を更新したいと思います。




そして、最後は病理解剖の結果を、皆さんにお伝えしたいと思います。



このブログは、母の希望で更新していました。
私のブログを見て、癌患者さんや、患者さんのご家族が少しでも情報を得られたら‥。


このネット社会で、母の癌について詳しく理解できるような情報はありませんでした。


わからない事ばかりで、とても苦しかったです。
本当にツライ毎日でした。


同じような人が居るかもしれない。
だったら参考になんてならないかもしれないけれど、私はその人のチカラになりたい。


私は、どちらかと言うと、
他人にはあまり興味が無くて、
少し冷たい性格だったと思います。


しかし、私にとって絶対的な存在の
【母】が癌になり、失いました。


母をどうしても救いたくて、失いたくなくて。


ずっと連絡を取っていなかった医師になった友人達も母を救うために、たくさんの情報をくれた。
夜中だろうが、明け方だろうが、母の事をたくさん調べてくれた。

名古屋大学に転院する時もたくさんの人が手伝ってくれた。
草津へ行く際にも、たくさんの人に助けられた。


本当にたくさんの人に支えられたんです。



次は、私がお返ししなければいけない。



そんな気持ちになれたのは、周りの人達、そして【母】のおかげです。



もう少しだけ、私たち家族にお付き合いくださいね。





ともちゃん。
やっと念願だった星空が見れたよ。


言葉を失うぐらい綺麗だった。


ともちゃん。
ともちゃんにも見せたかったなぁ。