今日のノダメのドラマは非常によかった。
のだめの喋り方はなんだかイライラするんだけど、上野樹里の表情には引き込まれるものがある。なんと豊かな表現力なのだろう。
あのイライラする口調も、狙い通りなのかも。

選曲もいい。
自分はクラシックに、もともと興味がない方ではないとおもうけど、ドラマを見ていると曲中で使われている曲をもっとじっくりと聴いてみたくなる。
マンガかいてるひとは、ほんとに音楽がすきなんだろうなぁ。

若い主人公が、苦しみながら歴史のある世界に挑戦していくという構図のストーリーが好き、というのもあるかも知れません。
(「ピアノの森」という漫画も、同様のプロットだけど、すばらしいマンガ)

僕は自分にその様子を重ねたいんでしょう、きっと。笑


今日のシンポでは、共同研究をしているProf. Namの公演は非常にすばらしかった。

率直な話、研究を始めるにあたって自分のテーマがよくわからない韓国人とやるものだと知ったときは「なんで??」と思ったし、直接Nam先生に会ってみても「論文出せ、出せ」うるさいおっさんやなぁ位にしか思わなかった。
あんだけ成功してるのも、Lippard, Valentain, Lawrence Qとコネをつくったのが成功の要因だろ?と思ってた。

実際のところ、彼よりSmartな先生は、うちのボスを含めて世界には腐るほどいるんだろうけど、プレゼンを聞いてストーリーの作り方、プロジェクトの進め方については突出したものがあると思った。

そのNam先生の話の中で、(N4Py)Fe=Oから、(TMC)Feへのオキソトランスファーのpaperが、先生の指示でなくてマスターコースのLeeちゃんの発案で走り始めた実験だという話が非常に印象的だった。

僕自身も実験をする中で、自分なりの狙いを持ってデータを取ったりしてはいるし、たまたま指示外のことをやってみてうまくいった、という程度のものは持っているけど、オリジナリティは完全に自分にある、と言い切れるデータは持っていない。
彼女はアメリカでドクターを取るようだけど、彼女のmentalityを象徴するその話は非常に刺激になった。

科学者にとって、どんな実験を行うかは自己の存在を主張することと同義だ、という某先生のありがたい言葉があるけれど、彼女はAngewの紙面で、世界に対して自己表現をしたのだ。

ひるがえって自分の話。

Banquetに参加するたびに思うけど、自分には先生たちと身のあるディスカッションができるほどの知識もキレもなければ、気の利いた会話ができるほどの表現力もない。
guestsにおすすめできるほどの観光地の情報もない。
もう、あるとすればオーガナイザーであるBossの弟子であるという看板があるのみ。あと、若さか。
日本人が珍しいわけでもないし、自分に何にもないってのがこれほどつらいこともなかなかない。

今日の、3つ上のドクターコースの先輩の15分公演は、とてもしっかりしたものだった。
そんな発表の後は、Banquetでも話は弾む。
うちのBossの名を背負って、その重みにつぶされないように一段一段階段を上ってゆく彼。
先輩は小さなことも、大きなことも、一つ一つ自分の力で積み重ねてゆくタイプの人で、見ていていつも自分の甘さを思い知らされるわけですが、今日はよりいっそうその思いを強くした。

excellentなBossの下にいるからといって、そこにあぐらをかいてはいけない。
その重みに耐えながら、自分の道を探してこそなのだということを忘れないようにしたい。