またまたおひさです。
宿題の「接客日誌」第二弾。本日終了、心も軽くぅ~~(^ε^)♪ヒュゥ~~
ちなみに、私は、プライベートのおでかけのほぼ半分は、駅までの行きは徒歩で帰りはタクシー。
父さんは、行きはタクシー帰りもタクシー。時々介護タクシー。(^-^)
そして、うちのお客様に、91歳のご高齢で、来るときタクシー帰りは・・・。
救急車!!というツワモノがいる。
股関節及び膝を痛めていらっしゃるこの方。杖はお持ちになっているけれど、杖のみの歩行は困難。
正直父さんの上を行く不自由さ加減で・・・。
日誌を終えて、この方のことを書く日があまりにも多かったことに辟易。
曲がりなりにも結構広い店内をカートにつかまって自力歩行されてレジを通過されることができた頃は、
軽くサポートをして、タクシーを手配し、お見送りする程度で済んでいました。
当時は「ありがとう、悪いわね。」の言葉も聞けていた。
3月のある日。店内で転倒された高齢者がいる!!と知らせが入り、
駆けつけるとその方だった。転倒時頭を打ったようでもあり、短い間意識もなく、
当然「救急車」
となりました。
お買い上げの商品は、お財布を預かり、会計を済ませ、ご自宅までお届けし。
次にお会いした時に、その後のことを伺うと・・・。
①「何でもないのに救急車を呼んだのは誰だ!!
」
②「お宅の床が滑るから悪い」
聞き捨てならないお言葉を頂戴して呆然。
その場を離れた私に、すぐに飛び込んだ「誰かが倒れた」の知らせ。
要するに、滑ったからではなく、もう、店内一周する体力がないのに、無理に歩こうとなさるので、限界が来てしまう ⇒ 貧血を起こして倒れる。へたる。 ということなのです。
救急隊も、手を焼く頑固さで、忘れたふりをして、名前も、住所も家族の電話番号も言えない。
その日は、救急隊が手を引き、タクシーを呼ばされました。
そして、さらにその一週間後。
今度は、私の目の前で倒れた。
抱き抱えながら、「御家族を呼びたいので、連絡先を教えてください。」
と、懇願。
すると。
「嫁とは仲が悪いから世話になりたくないのよ」とのお返事。お手上げです。
「そうは、言っても○○さん、今私と、副店長にお世話になっちゃっていますよ?」
と切り返したけれど、効果はない。
自らの人生の信条を問われたら、
「多くを望まないけれど、できるだけ人様には迷惑をかけずに生きていきたい。」
多くの人が、そう答えるはずだ。今の年齢で既に私もその境地にあるし、
できれば、年老いて、認知症にならずにこれを全うしたいということがささやかな、のぞみ。
曲がりなりにもご家族との同居がかなっているそうだが、
そのご家族に見放されているとも思える、彼女を見ていると、虚しさが募る。
世間話に、聞くとはなしに、息子夫婦との仲違いぶりを、伺うことが度々あったから、
想像に固くないのだ。性格の問題は大いにありそうだ。失礼ながら。(^_^;)
三回目の救急隊も、あきらめ、警察に通報。この日は、帰りはパトカーになった。
それでも、来訪は続く。
出だしから、車椅子でお迎えをして、お買い物の介添えをしてみたが、忙しさで、付き合えきれず、
お待ちいただくことを余儀なくされたら「いつまで待たすのよ!!」とどなる。
親切にすることになれられると、車椅子を遊園地の遊具と間違われているのではと思うくらい、
わがままを言い出しキリがない。会計に回そうとすると「あと一周おねがい」とくる
相手の立場を完全に無視する、傍若無人ぶりに事切れた。
この前の日曜日、4回目の救急車。
帰りも救急車で自宅搬送となったらしい。
こうなってしまうと、社会的にも、申し訳ないが、迷惑な存在ということになってしまう。
行政の限界。働きかけがなければ放置。それでいいのか。
店の人間としてのできることは、全てやり尽くして、
ご家族との接触がままならないまま、手をこまねいている。
差し出がましく、ヘルパーさんの付き添いを要請してみたり、
コンビニの宅配をおすすめしたりしても、無駄だった。
ご高齢者に優しく・・・は、店のスローガンでもあるが。
父さんとの一連のことを振り返り、福祉のありがたさを痛感している私としては、
それすら叶わないまま、自我を通して、生きておられるこの方が、哀れでならない。
でも同情ばかりもできない。複雑な心境になる。
そしてなにより、父さん あんたは偉い・・・そして、父さんには私がいる。
そんなこんなに、ちょっと自信を持ったりしているのです。
父さんと私。喧嘩上等!!
福祉の手を借りながら、安全と安心をいただいて、人様に迷惑をかけずに。。
やっていられているよね。
(o・・o)/あんにょん
宿題の「接客日誌」第二弾。本日終了、心も軽くぅ~~(^ε^)♪ヒュゥ~~
ちなみに、私は、プライベートのおでかけのほぼ半分は、駅までの行きは徒歩で帰りはタクシー。
父さんは、行きはタクシー帰りもタクシー。時々介護タクシー。(^-^)
そして、うちのお客様に、91歳のご高齢で、来るときタクシー帰りは・・・。
![救急車](https://emoji.ameba.jp/img/user/ke/keitan5963/346276.gif)
股関節及び膝を痛めていらっしゃるこの方。杖はお持ちになっているけれど、杖のみの歩行は困難。
正直父さんの上を行く不自由さ加減で・・・。
日誌を終えて、この方のことを書く日があまりにも多かったことに辟易。
曲がりなりにも結構広い店内をカートにつかまって自力歩行されてレジを通過されることができた頃は、
軽くサポートをして、タクシーを手配し、お見送りする程度で済んでいました。
当時は「ありがとう、悪いわね。」の言葉も聞けていた。
3月のある日。店内で転倒された高齢者がいる!!と知らせが入り、
駆けつけるとその方だった。転倒時頭を打ったようでもあり、短い間意識もなく、
当然「救急車」
![救急車](https://emoji.ameba.jp/img/user/ke/keitan5963/346276.gif)
お買い上げの商品は、お財布を預かり、会計を済ませ、ご自宅までお届けし。
次にお会いした時に、その後のことを伺うと・・・。
①「何でもないのに救急車を呼んだのは誰だ!!
![むかっ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/034.gif)
②「お宅の床が滑るから悪い」
聞き捨てならないお言葉を頂戴して呆然。
その場を離れた私に、すぐに飛び込んだ「誰かが倒れた」の知らせ。
要するに、滑ったからではなく、もう、店内一周する体力がないのに、無理に歩こうとなさるので、限界が来てしまう ⇒ 貧血を起こして倒れる。へたる。 ということなのです。
救急隊も、手を焼く頑固さで、忘れたふりをして、名前も、住所も家族の電話番号も言えない。
その日は、救急隊が手を引き、タクシーを呼ばされました。
そして、さらにその一週間後。
今度は、私の目の前で倒れた。
抱き抱えながら、「御家族を呼びたいので、連絡先を教えてください。」
と、懇願。
すると。
「嫁とは仲が悪いから世話になりたくないのよ」とのお返事。お手上げです。
「そうは、言っても○○さん、今私と、副店長にお世話になっちゃっていますよ?」
と切り返したけれど、効果はない。
自らの人生の信条を問われたら、
「多くを望まないけれど、できるだけ人様には迷惑をかけずに生きていきたい。」
多くの人が、そう答えるはずだ。今の年齢で既に私もその境地にあるし、
できれば、年老いて、認知症にならずにこれを全うしたいということがささやかな、のぞみ。
曲がりなりにもご家族との同居がかなっているそうだが、
そのご家族に見放されているとも思える、彼女を見ていると、虚しさが募る。
世間話に、聞くとはなしに、息子夫婦との仲違いぶりを、伺うことが度々あったから、
想像に固くないのだ。性格の問題は大いにありそうだ。失礼ながら。(^_^;)
三回目の救急隊も、あきらめ、警察に通報。この日は、帰りはパトカーになった。
それでも、来訪は続く。
出だしから、車椅子でお迎えをして、お買い物の介添えをしてみたが、忙しさで、付き合えきれず、
お待ちいただくことを余儀なくされたら「いつまで待たすのよ!!」とどなる。
親切にすることになれられると、車椅子を遊園地の遊具と間違われているのではと思うくらい、
わがままを言い出しキリがない。会計に回そうとすると「あと一周おねがい」とくる
相手の立場を完全に無視する、傍若無人ぶりに事切れた。
この前の日曜日、4回目の救急車。
帰りも救急車で自宅搬送となったらしい。
こうなってしまうと、社会的にも、申し訳ないが、迷惑な存在ということになってしまう。
行政の限界。働きかけがなければ放置。それでいいのか。
店の人間としてのできることは、全てやり尽くして、
ご家族との接触がままならないまま、手をこまねいている。
差し出がましく、ヘルパーさんの付き添いを要請してみたり、
コンビニの宅配をおすすめしたりしても、無駄だった。
ご高齢者に優しく・・・は、店のスローガンでもあるが。
父さんとの一連のことを振り返り、福祉のありがたさを痛感している私としては、
それすら叶わないまま、自我を通して、生きておられるこの方が、哀れでならない。
でも同情ばかりもできない。複雑な心境になる。
そしてなにより、父さん あんたは偉い・・・そして、父さんには私がいる。
そんなこんなに、ちょっと自信を持ったりしているのです。
父さんと私。喧嘩上等!!
福祉の手を借りながら、安全と安心をいただいて、人様に迷惑をかけずに。。
やっていられているよね。
(o・・o)/あんにょん