『金正日は日本人だった』という衝撃的なタイトルの本がある。いわゆるトンデモ本かと思い手にとったが、中身は充実していた。

 金正日は実は親日的であり、国交正常化を求めている――。真偽のほどは明らかではない。明確な根拠があるとは思えない記述も散見される。しかし、「真実の歴史」なるものなど、この世には存在しない。どの事実と事実を繋げるかで、歴史の見方は変わる。それ故、この内容が真実であるかどうかなど、大した問題ではない。

 実際、田母神航空幕僚長の論文が、一時期論壇を席巻したのは否定できない事実だ。あれ程いい加減な論文はなかったが、影響力は強大であった。それ故、大切なことは実証的な追及ではなく、「如何に語るか」(オスカー・ワイルド)であるとすら言える。

 『金正日は日本人だった』はその意味で、大いなる意味を持つと思う。この本は、日本に蔓延しているものとは大きく異なる金正日像を提示している。これにより、日本人の金正日像が少しでも変わることになれば、国交正常化が可能となる。そして、国交正常化は結果として、拉致被害者を奪還することにも繋がるはずである。

 国交正常化なくして拉致被害者奪還を唱える者も多いが、それが如何に愚かしいことであるか気付かねばならない。外交は相手がいるのだ。如何にこちらに非がなかろうとも、相手という存在を考えない議論など、何の意味も持たない。他者の存在を考慮しない発言など、ただの独り言だ。それは虚ろなる音声にすぎない。

 北朝鮮にミサイルを撃ち込むなどして、軍事力による解決策を唱える暴論もあるが、その結果拉致被害者がどうなるか考えたことがあるのか。

 13日の産経新聞に、「北朝鮮による日本人拉致問題をめぐり、複数の民主党関係者が昨年夏以降、数回にわたって中国で北朝鮮側と極秘に接触し、拉致被害者の行方を確認するよう要求していたことが2日、分かった。」という記事が出た。自民党が50年以上も解決できなかった問題を、民主党がわずか100日で解決できるわけもない。民主党に逆風が吹く中、この北朝鮮問題解決が民主党の生命線となるであろう。


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 民主党幹事長・小沢一郎氏の公設第一秘書・大久保隆規氏や、元私設秘書である同党の石川知裕衆院議員を巡る問題が世間を騒がしている。それと同時に、天皇に関する小沢氏の「国事行為」発言により、小沢氏に対する攻撃が日増しに強まっている。

 天皇に関してはまた改めて述べるとして、現在の東京地検特捜部の在り方は看過できるものではない。

 

戦前、中野正剛・元衆議院議員の影響力の強大さに恐れ慄いた東條英機は、中野を拘束するよう検事総長に指示した。ところが、当時の松阪広政検事総長は、証拠不十分を理由としてこの要請を拒んだ。その後、憲兵隊と謀った東條は、何とか中野を拘束することができた。しかし、憲兵隊から検事局に回され、検事局で取り調べを担当した東京地検の中村登音夫思想部長は、法的根拠が希薄であると考えていたため、結局中野の起訴を為しえなかった。こうした東條の陰謀を挫くかのような対応は、東條の怒りを買った。その後、中村は四十三歳だったにも関わらず、再度軍隊に召集されたのである。(以上、『人間中野正剛』参照)

かつて日本の司法には、独裁政権からの圧力を撥ね退ける、彼らのような誇り高き法曹がいた。彼らは自らの誇りと信念のために、命を賭して憲兵隊や特高の圧力をも撥ね退けたのだ。

とはいえ、中野拘束のために働いた憲兵や特高警察も、その是非は措くとしても、国家体制を守るという正義感を持ち合わせてはいた。彼らには、公会堂から溢れるほどの聴衆を集める中野正剛が、仮に彼の傘下の東方会と共に武装蜂起すれば、ロシアと同様に革命すら起こりかねないと本気で恐れていた。そして、彼らのそうした正義感故に、多くの悲劇が齎されたのだった。

しかし、平成の現代に跋扈にする検察に、こうした気概はあるまい。彼らは出世や地位、名誉、体面、上司のご機嫌をとることに囚われているにすぎない。

そして、自らの捜査を都合よく進めるため、メディアに意図的にリークして、世論を味方につけようとする。例えば、大久保氏逮捕の際の報道を見てみると、「関係者によると…」「関係者への取材でわかった」というものが目立つ。この関係者とは、言うまでもなく取り調べをしている特捜部だ。これが相も変わらない彼らの手口である。

 佐藤優氏の『国家の罠』のヒットにより、検察による国策捜査という言葉が流行ったが、彼らにそんな大層なものは為しえない。「検察こそ正義だ」という卑小なエリート意識に囚われたその姿を、喜劇と言わずして何と言うか。「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(マルクス)


貧困や外交問題など、解決すべき多くの問題が山積している今、検察という、国民から乖離した官僚組織の喜劇に、我々国民が振り回されるわけにはいかないのだ。一刻も早く、検察の暴走を止める必要がある。それでは如何にすべきか。

突くべき点はある。それは彼らの一つ覚えとしか言いようのない常套手段、メディアへの意図的なリークだ。

この「リーク」という言葉、片仮名表記ではピンと来にくいが、「リーク」とは「情報漏洩」のことである。自衛隊が情報を漏洩した際、マスメディアは挙って自衛隊叩きを演じた。ところが、特捜部の情報漏洩に関しては、それを叩くどころか、有り難く頂戴して垂れ流す。この差異にメディアの欺瞞性が表れている。

 検察は言うまでもなく、国家公務員である。国家公務員は国家公務員法に従わなければならない。国家公務員法100条は、「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする。」という守秘義務を定めている。東京地検特捜部はその意味で、守秘義務に違反しているのではないか。

 検察はこう言うかもしれない。「我々は国民の知る権利に応えているのだ」と。しかし、それならば取り調べを全面可視化すれば済む話である。そうすれば、許されざる冤罪の原因も断つことができ、メディアが検察にお伺いをたて情報を得る必要もなくなるのだ。

 

 事実関係が明らかになっていない今、小沢氏を擁護するつもりもないし、それは不可能である。しかし、意図的なリークにより世論が操られることは、もうこれで終わりにしなければなるまい。東京地検特捜部の守秘義務違反に対しては、告発という手も考えられうる。我々はメディア報道に流されず、冷静に判断すべきである。



[参考]ムネオ日記(20091230日) 

 今日も新聞は小沢幹事長の資金団体の件、石川知裕代議士の事について大きく扱っている。記事の中で「関係者によると」「関係者の話によると」「関係者の取材でわかった」という表現があるが、その「関係者」が問題である。TVの放送で「関係者とあるのは検察です」と極めてわかりやすく説明されていた。

「関係者」に言いたい。「国家公務員法に触れていませんか」「人権擁護委員会にもかけていい話しです」と弁護士、法律に詳しい人から指摘を受ける。

 小沢事務所、石川事務所もきちんと対応していると思うが、民主主義の根幹に係わることである。

 検察がすべて神様、仏様ではない。間違った判断で「足利事件」「布川事件」と冤罪を作ったのは検察である。「検察に反省や謝罪の心がない。検察の暴走を許してはいけない」といった多くの声が寄せられる。私もその通りだと思いながら、こうした声をしっかり受け止めて参りたい。

 正直者が馬鹿を見る社会にしてはいけない。年の瀬を迎え明日の生活を心配している人が沢山いる時、悪代官、権力者がぬくぬくと生きていく社会であってはならない。声なき声を私は代弁していく。







「経学益々明に、文章益々美にして、国威日に退き、外夷日に熾なり。」


 野山獄で吉田松陰が斯う嘆いた時から、現代は如何ほど前に進むことができているだろうか。

 理屈を捏ね繰り回す小賢しい政治家や学者が増えた現代、知識豊富な人間は増え、彼らの文章は益々明晰になっていった。しかし、彼らは当事者意識を持たず安全圏からモノを語るだけである。それ故、国威は退き、外圧は留まることを知らない。

 イデオロギーの違いなど、些細なことに過ぎない。大切なことは、目の前にある具体的な社会矛盾に怒りを覚え、立ち上がることではないか。しかし文壇人は、頭の中で造り上げたにすぎない些細な考え方の違いに拘り、右も左もくだらない論争を続けている。

 そして、こうしたくだらない論争を続けている傍らで、毎年3万人もの同胞が自殺をし、多くの人が貧困で苦しみ明日の生活もままならない。

 拘るべきは、尊王や共産主義といったイデオロギーではないはずだ。

 イデオロギーを破壊しつくためにはどうすれば良いか。それを解明していくことが本ブログの目的である。