第52番札所
太山寺 本尊(十一面観世音菩薩)
「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。それによると、飛鳥時代の用明天皇2年(587年)、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で嵐に遭遇した。長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が止んだ。光の差した場所に行ってみると十一面観音を祀った堂があった。長者は感謝しそこに寺院を建立するため、豊後より一晩で建材を持ち込んだ。そして、山腹に一夜にして寺院を建立したということである。
第53番札所
圓明寺 本尊(阿弥陀如来)
寺伝によれば天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受けて行基が本尊阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで開基したという。当初は現在地より北の浜にあり海岸山圓明密寺と称した。後に空海(弘法大師)がこの地を巡錫し伽藍を整備したという。
第54番札所
延命寺 本尊(不動明王)
聖武天皇の勅願を受けて養老4年(720年)に行基が不動明王を刻み堂宇を建立して開基。弘仁年間(810年~824年)に空海(弘法大師)が嵯峨天皇の勅命によって再興し、不動院圓明寺と名付けたという。
かつては現在地の北の近見山にあって、谷々に百坊を有し信仰と学問の中心であった。しかし、再三戦火に焼かれて境内を移転し、享保12年(1727年)に現在の地に移転した。鎌倉時代には著書の多きこと日本一で学問は内外に通じ、深く後宇多天皇の尊崇を受け、生前に国師の号を賜ったほどの大学僧示観国師凝然がこの寺の西谷の坊で八宗綱要を著したことは有名である。明治の頃、五十三番札所の須賀山圓明寺との混同を避けるため、通称の延命寺を寺号とした






















