鵲森宮(かささぎもりのみや)と云うのは、
上古難波の杜(もり)と云っていた推古天
皇の御代に、難波の吉士磐金(きしいわかね
聖徳太子の命により新羅へ使者として渡る、
鉄鋼業の祖)と云う人がいまして、新羅国より
還って来て、鵲(俗に朝鮮烏)二羽を献上しました。
(「日本書紀」推古六年夏四月の条に載っています)
この森に飼わせなさったことから「鵲の森]と称え、
遂に宮の名となり略して「森之宮」又は「森明神」とも
云うようになりました。鵲とは日本の烏(からす)によ
く似ており、全体が黒く、腹部の白い烏で、韓国や
北中国には多く生息しています。昭和十七年五月
帝国海軍水雷艇「鵲」より剥製の鵲をもらい
現存しています。



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