注意:
このブログは妻が辛い闘病生活を終え、天国へと旅立ったあと、ブログ主が妻との人生を振り返る目的で書いています。
長期間にわたることから記憶違い、記載間違いなどが起こる可能性は極めて高いです。ただ、わたしたちの経験してきた歴史はまごうことなき本物です。
それをご承知のうえでお読みください。
また、わたしの妻がどういう人間であったか。皆様の心の中に少しでも印象づけていただけたら幸いです。
前回の続き
1992年も後半。
そんなに頻繁に会っていると飽きるよ、とはよく言われることですが、我々も例外ではありません。
実はこの先、そういう事態が起きます(予告?)。
ただ、1992年においてはまだまだ新鮮。トキメキも半端なくて、わたしのほうは結婚する気満々でございました。
社員寮に住んでいたので自室に電話がなく、寮にあったのは小銭をチャリンチャリンと入れる電話1台だけでした。
当然、寮の電話で彼女と会話する訳にはいきませんから(寮に居る人にまる聞こえ)、寮の近くの電話BOX(今となっては全く見かけませんが。。)に小銭をたくさん持って行くことになります。
まだまだ正式に付き合い始めて1年目くらいですから話題も多くて、その中で、何かの拍子に
「僕はキミと早く結婚したいんだよねっ」と言ったら、
「えー、なんか軽く聞こえるなぁ」と冷たーいお返事が返ってきたのを覚えています。
「ごめん、ごめん、急ぎ過ぎだよね」とわたし。
まさに、惚れた弱みでございました。。
因みに、会社から帰るときに今晩電話するね、と言って、帰ってから電話するのですが、なんのことはない。
会社でも一緒、休日も一緒、通勤は行きはわたしの遅刻癖で別々であったものの、帰りも一緒。夜は電話する。(1時間くらい?)
これだけ濃密な時間を一緒に過ごすと、彼女のことを知るのにそんなに多くの時間は必要ありません。
無論、彼女がわたしのことを知るのにも多くの時間は必要ありません。
まだまだ表面的な情報ではあったものの、二人ともお互いのことをよく知ったうえで、二人共通の経験、歴史を刻み始めた。
これが1992年という年でした。
さて、こうして二人の世界を満喫し始めたのですが、彼女はさっぱりした性格で、男女共に人気がありました。
必然的に彼女のまわりには人が集まり、彼女の口調は男気口調でもあったので、
「うん、そこに置いといてくれぇ」、「よし、まかせてくれたまえ」、「うん、よきに計らいなさい」とか、女性が男性言葉を可愛らしくマネするという特技を発揮して(うーん、うまく表現できません。)、仕事を楽しく円滑に回していました。
男性社員たちが面白がって?彼女のまわりでワイワイしていたのを遠く(と言っても数メーター)から良く見ていました。
帰りも一緒と書きましたが、「今日は飲みに行こうよ」、と言って二人で居酒屋にもよく行きました。
お酒が入ると少し強気になって、「〇〇さん、なんか男とよくしゃべっているよね?」とわたし。
「そうかな?、普通だよ」と言う彼女。
「いやいや、しゃべりすぎだって。どう見ても」とわたし。
完全にわたしの嫉妬なわけですが、
「じぇらじぇらするの?仕方ないなぁ」とニコニコしだした彼女。
そのあとの一言が強烈でした。
「ま、好きになった方が負けだからねっ」
はい、勝負合った、という感じでございました。。
そうして、1992年のクリスマスイブ。
この年は横浜に行きました。横浜近くのホテルに泊まり(横浜のホテルは高い!)、横浜のクリスマスデコレーションを見て、港の見える丘公園を歩いて回りました。とても寒くて、「いや、寒いよねー」と言ったら、彼女が「いい方法があるよ、こっち来て」というので付いていったらそこには1台の自動販売機。
ホット缶(コーヒー)を買ってお腹に入れるとカイロ代わりになるんだよ。と言ってホット缶を二個買ってくれました。
「どお、暖かいでしょ?」と言って、いたずらっぽく笑う彼女の顔は寒さで真っ赤になっておりましたw
ホット缶で一時を凌いだものの、続く寒さには抗しえず、近くにあったコンチネンタルホテルのロビーへ避難。
「暖かいねー」と二人で言い合っていたら、なんとホテルからシャンパンの振る舞いが。
「えー、なんか申し訳ないね」といいながら乾杯。
なんとも良いクリスマスの思い出でした。
こうして1992年は幸せのうちに終わり、世界は1993年へと向かいます。
続きます。