注意:
このブログは妻が辛い闘病生活を終え、天国へと旅ったあと、ブログ主が妻との人生を振り返る目的で書いています。
長期間にわたることから記憶違い、記載間違いなどが起こる可能性は極めて高いです。ただ、わたしたちの経験してきた歴史はまごうことなき本物です。
それをご承知のうえでお読みください。
また、わたしの妻がどういう人間であったか。皆様の心の中に少しでも印象づけていただけたら幸いです。
前回の続き
1992年を迎えて、わたしたちのデート頻度はさらに増加しました。
休日は基本的に用事がなければいつも二人ででかけていたと思います。
基本は車でのお出かけです。
だって、二人きりになりたいじゃないですか。(僕だけ?)
平日は会社に行くのも新宿駅の改札で待ち合わせです。始業が9時だっと思いますが、待ち合わせが8時半。
困ったのはわたしの遅刻癖で、いつも8時45分くらいに、「ごめん、ごめん」と言って登場。朝が弱かったのと、単純に遠かったんですよね。(言い訳)
携帯電話がない時代ですので、連絡を取る方法すらなく、彼女はいつも待たされてご立腹。
そのうち、別々に行くことになったのでした。残念。
(当時さんざん謝ったとは言うものの、書いてて罪悪感が募りますね。ごめん。。)
会社帰りも何もなければ基本的に一緒です。
会社のビルを出てすぐに甲州街道があり、横断歩道があるのですが、ある夏の日、歩行者信号が点滅を始めたので、彼女の手を取り、駆け足で渡り始めたことがあります。
なぜか、彼女が途中から「うふふ、あはは、あっはははは」と笑いだして、手を引いていたわたしも「あははは」と笑いだしてしまいました。渡り切った後に「なんか楽しかったよね」と笑いながら言った彼女の顔をよく覚えています。
携帯があれば写真を撮っただろうなぁ。
あと、会社帰りの思い出と言えば、わたしたちが二人で歩いていると、他の部の女子社員が「ほら、あれあれ、あの二人付き合っているみたいよ」みたいに指を差してきたことがあり、それを見た彼女が「すぐにああいう反応する、くだらないよっ」と言って怒っていたことですかね。
男気?あるんですよ彼女はw
さて、休日デートは基本的に車と書きましたが、当時、関東一円を新車で買ったホンダプレリュードで文字通り駆け回りました。僅か一年で走行距離が6万キロになり、さすがに走りすぎか、とも思いましたが、それくらい彼女と一緒に出掛けるのは楽しかったのです。
因みに、女性あるあるですが、地図を見るのがなかなかに苦手でした。首都高に乗って、そこを左と言われ、左折したら高速を降りてしまったり、ここはどこ?みたいなところに出てみたり。
当たり前ですが、当時はナビなんて便利なものはありません。
今にしてみれば良い思い出ですが、そのあと彼女はある特技を身に着けました。
首都高や、環状線から見える看板を覚えたのです。
「ねえ、あれあれ、あの看板あるからこっちだよ」とか「あ、あの看板見えたから高速降りなきゃ」
助手席で懸命にナビしてくれる彼女の横顔をチラ見しながら、面白い特技だよなぁ、と思ってました。
そうした看板の中でひと際彼女のお気に入りだったのが「わさビーフ」の看板。ご存じ板橋、常盤台にあった山芳製菓さん本社の屋上にあった看板です。
環状七号線の沿線沿いに「わさビーフ」の看板が見えてくると「あっ、わさビーフw」といつも笑っていました。
それくらい環状七号線をわたしたちは使っていたのでした。
ここまで書いて、なんだか胸が苦しくなって、ネットで「わさビーフ」の看板を検索しました。
今一度見てみたかったのです。
残念なことに2024年に移転して無くなっていました。
ただ、かつての写真が残っていて、環七から見た写真もありました。なんだかグッと来るものがありましたね。
今から30年以上も前に二人で車中から見た「わさビーフ」の看板。
隣にいた彼女はもう居ない。悲しいです。
ダメだ。今回はここまで。
続きます。