みなさん

こんにちは。

sitorehamです。

 

もう書けなくなりました、と綴ったこのブログですが、妻と過ごした35年間を振り返る形で記載して、彼女と共に生きた記録を残しておこうと思います。

わたしの記憶が定かなうちに、そして、これが彼女に対する最大の供養となることを祈りながら。

 

再会をつづる旅

彼女と出会ったのは1990年4月。彼女が新入社員として会社に入ってきた年でした。

今から35年前のことです。

 

彼女は大学に一浪して社会に出てましたから当時23歳。

世の中はまだバブルの色消えず、景気も悪くなかった時代のことです。

因みに、翌年からジュリアナ東京が営業を開始し、お立ち台で女子大生が踊るようになります。

 

わたしは1989年入社の一年先輩でしたが、彼女からは「SitoreHamさんって何年も前から会社にいるって感じですよねw」と言われてました。

わたしは仕事が出来ると見られてる、と悦にいってましたが、なんのことはない、偉そうにしてますよね、という意味でした。

実際、わたしは仕事が出来ると思ってましたし、周囲の人間も生意気な奴だけど仕事はできる、と見てくれていたと思います。(若気の至り。。)

 

彼女はわたしのデスクの隣の隣に座り、当時珍しかったCADを駆使した仕事を始めました。

外協さんと共に全国のSR(ショールーム)を相手に教育業務を担当。その仕事ぶりは彼女の誠実さと、几帳面さから多くの人間の支持を集めていました。

また、料理や手芸が得意で社内新聞に載ったことも覚えています。

 

我々二人の関係性に変化が起きたのは、1990年の夏。

幕張メッセで恐竜博が開催された時です。

 

彼女と共に仕事をしていた外協さん(女性)、彼女の同期(男性)、そしてわたしと4人で恐竜博に行こうということになったのです。

わたしがお昼休みに恐竜博に行こうと思ってるんだよね、と言ったら彼女がわたしも行こうかな、と言ったのでした。

 

彼女の同期は外協さんを車で迎えに行き、わたしは彼女を車で迎えに行きました。

彼女は当時中野の実家に住んでいて、わたしは武蔵小杉の会社の寮に住んでいました。

 

わたしは会社に入るまで誰とも付き合ったことがなく、車に女性と二人で乗るのもは初めて。緊張していたものの、そんなことはおくびにもださず、普段道理であることに努めていました。

(因みに、この事実はここで初めてオープンにしました。妻はこの事実を知りませんw)

 

彼女も緊張していたようで、車の中での会話はぎこちなく、幕張に向かう首都高で渋滞にハマった時、わたしが、「あの車の男の人がキミのことをジッと見ていたよ」と言ったら、彼女は「可愛いからかなぁ?」と言って、「また、ふざけちゃった」と笑っていました。

 

女性に対する免疫のないわたしは彼女のあまりの可愛さに一目ぼれしてしまい、幕張に着いても恐竜博なんて二の次。彼女のことばかりこそこそと見ていました。

お昼になり、わたしの車に4人で乗って、女性陣が用意してくれたお昼ごはんを食べました。

外協さんの女性はサンドイッチ。彼女はおにぎり。

緊張していたせいかあまり食べれず、彼女は「わたし、お弁当残されたの初めて」と目を丸くしていましたね。

 

恐竜博の見学を終え、彼女を実家に送り届ける頃には、彼女のことが知りたくて知りたくて。。

 

そうしてしばらく経ったある日のこと。会社のシュレッダーで資料を裁断している彼女の周りに人がいないことを確認して、恐る恐る聞いたのです。

「ねえ、〇〇さん。彼氏っているの?」

彼女は緊張の面持ちで、、

 

次回に続けます。