本日、2026年2月16日 午前1時7分

妻は旅立っていきました。

 

子宮平滑筋肉腫に罹患して3年半。抗がん剤の副作用に苦しみながら闘い続け、元旦の入院後は胸水によって肺を塞がれながらも、痛みと息苦しさと闘った一か月半でした。

 

何も出来ないわたしは何度も妻に「すまない、本当にごめん」と謝り続けていましたが、医療麻薬で朦朧とする意識の中で、「大丈夫、気にしないで、ありがとう」とかすれる声で言ってくれました。涙が出ました。

痛みは医療麻薬で押さえ込んでもらえたものの胸水から来る痰は防ぎきれず、日に何度も吸引することになりました。吸引は悲鳴を上げるほど苦痛で、体力を奪います。

 

それが昨日の夜から不思議と収まり、「良かった、改善してきた」と思った矢先、おしっこが減ってきている、という指摘が看護師からされました。

肉腫の転移によって臓器が機能不全を起こし、腎臓の機能が低下しているということでした。痰が改善したと思ったのは臓器不全が進んだからだったのです。

 

本日、無尿状態となり、意識も失われ、下顎呼吸が始まりました。

看護師からは苦痛は感じていない状態ですと言われ、少し安心したものの、下顎呼吸が始まるということは、最後の時が近いということですと言われ、何とも言えない身体が引き裂かれるような辛さを感じました。

手を握り、顔を妻の顔に寄せ、かすかな呼吸を感じながら、「愛している、大好きなんだ、よく頑張ったね、もう楽になっていいんだよ」と言い続けました。

意識は戻ることはありませんでしたが、聴覚は最後まで残っているということで、二人だけの病室で手をさすったり握ったり、頬に口づけをしたり、そして妻との思い出を語りながら、最後の時を過ごしました。

そして、だんだんと身体が冷たくなり、やがて小さな一息をついたあと、妻は旅立っていきました。

 

幸いにして、転院前の病院も、緩和病院も24時間の付き添いを許可してくれたおかげで合計で24日間という充実した日々を妻と二人で過ごすことが出来ました。

会話は最初の数日は出来ましたが、あとは殆ど口を利くことはなくなり手振りになりましたが充分に意思疎通は出来ていたと思います。

わたしが泣いて不甲斐なさを謝ったりすると頑張って言葉を発してくれ、「そんなことない、だいじょーぶ、だいじょーぶ」と言ってくれて涙があふれて止まりませんでした。

 

妻を喪ったいま、わたしの孤独な老後が始まります。

まだ、現役サラリーマンなので、今は仕事に没入するという逃げ道がありますが、それとて数年後には定年を迎えます。

妻と出会い、結婚し、一緒に生きてきた36年間という長い年月。小さなことを少しずつ積み上げながら共に歩んだ毎日は本日中断されてしまいました。そしてそれは取り返しのつかないほど貴重で、大切なものだったのです。

 

このプログを読んでくださっている皆さん。

健康がどれだけ大切か、そして、側にいてくれる伴侶がどれだけ貴重な存在なのか、改めて認識してください。

間違っても粗雑に扱わないように。

とっても壊れやすい、宝物なのですから。

 

本日、葬儀社へ相談に行ってきます。

親しかった友人を招き、彼女のことを大切にしてくれていた人達に見守られながら送り出したいと思います。

 

リビングでソファに座り、テレビを見ているわたしの横で彼女がいそいそと編み物をしている、そんな平凡だけど、とても幸せな未来を描いていました。

でも壊れてしまった。

いつまで耐えればこの渇きが癒されるのかわかりませんが、少なくともこのブログはもう書けません。

 

同じ病気で闘っているみなさん

隣におられる伴侶のためにも、諦めずに頑張ってください。

心から応援しています。

 

これまで本当にありがとうございました。