色々と大変なことが重なり、正直ブログを書く気が起きなかった。
本日は2023年の締めとなる大晦日。
今後、振り返りをすることもあろうと思い、記録として現状を書き留めておこうと思う。
二度のドキソルビシン投与が効かず、婦人科の主治医からこれ以上の抗がん剤は勧めないと再度言われたあと、すぐに現病院の外に出て、K総合病院のT先生に電話した。
T先生が紹介してくれると言われたS病院に転院して、一刻も早く抗がん剤治療に取り掛かりたかったからだ。
事態が好転しない状況に、わたしはかなり焦っていたが、その焦りは十分に伝わったと思う。
電話した際、T先生は診察中ということで、後刻電話をするから、ということだったが、結論から言うと三日待っても四日待っても連絡は無かった。
現病院での雑とも言える扱いに心身共に疲弊していた妻は、安心して治療に専念出来る病院に転院して診てもらえると信じていただけに相当堪えたようで、再度電話してみようよ、というわたしの言葉に静かに首を横に振った。
希少癌とはいえ、絶対数的には患者さんは多くいて、抗がん剤を受けるだけの妻のようなケースは、T先生としても対応の優先順位を下げざるを得ないのだろう。
転院しますか、と言ってくれはしたものの電話した際には手順も踏まないといけないから、とやや口を濁す感じもあった。
医師とて人である。わたし達が藁にもすがる思いでいるのは事実だが、信頼感などというものに必要以上に拘らず、ただ抗がん剤治療をするという目的だけを考えて、遠距離にある病院よりも近隣の病院で治療を受けることにしたんだ、と思うことにした。
何より無治療という状況を早くなんとかしたかったのだ。
妻はあまり気持ちを表に出すほうではない。辛くても我慢してしまうような性格で、あまり涙を見せないが、この時ばかりは歯を食いしばってポロポロと泣いていた。
抱きしめることしか出来ないわたしは自分の無力さを呪った。。
数日後、主治医が腫瘍内科の先生に変わり、治療方針について話し合った。
この頃には、わたしたちは転院について口にすることは無くなっていた。
腫瘍内科の主治医は、婦人科の先生とは異なり、まだまだ保険適用できる薬があるので、積極的に治療していきましょう、と言ってくれた。
また、AI療法について難色を示していたが、最後にはわたしたちの希望を聞いてくれて、入院の手続きもその場で行ってくれた。
ただ、「効かないと思う治療をやって、奥様の元気が無くなってしまった時のことを思うと本当に辛い」と最後まで言っていた。
自宅に向かう車の中で妻がポツリと言った。
「(腫瘍内科の)Y先生のことは信じられると思う。治療にも前向きだし、何より治療方針の説明に納得性が高かった」
「AI療法はどうする?」とわたし。
「Y先生の勧めてくれる薬でお願いすることにしたい」
帰宅すると同時に病院に電話をして、AI療法は止めることと、Y先生の勧めにしたがって治療する、とY先生に伝えてもらった。
翌日、入院手続き変更の連絡が病院からあり、入院予定日も早めてもらい、11月の中旬に入院することとなった。
後日、入院の事前説明で聞いたところ、薬はヨンデリスが選択されていた。
初めて会った時にはハラヴェンを勧めてくれていたので、ヨンデリスと聞いて少し驚いた。
ドキソルビシンとハラヴェンは薬の効き方が似ているという話もあって、そのあたりが薬の選択にあたって考慮されたのかも知れないがホントのところは分からない。
しかし、このヨンデリス。。
結論から言うと、まったく効かなかった。
この間、肺の腫瘍は増悪の一途をたどっており、CTやレントゲンで見ても大きくなっていることがわかる状況だった。
さらに加えて、新規の転移が発覚した。
大腿部に筋肉痛のような違和感があったらしいのだが、CTで撮ってみると長さ5cm、厚みが2cmほどの影がある。
痛みは大きくないものの、妻はわたしに隠していた。
心配かけたくない一心だったと言っていたが、ホントは妻も不安だったからに違いない。筋肉痛で何もなければいいのに、と祈っていたんだと思う。
事実は残酷だ。
この病気は本当に始末が悪い。
こうして、ヨンデリスはたった一度の投与で終了となった。
二度目のヨンデリスの投与で入院した際、わたしが不在の中で主治医と妻が話し合い、急遽薬をドセタキセルとゲムシダンに変更することにしたそうだ。
いわゆるDG療法というものだ。
主治医はわたしへの説明が出来ない状況で薬を変更したことについて謝っていたそうだ。
入院中の妻とのLINEのやり取りで知らされた。
わたしは妻が納得していればそれでいいが、同時にこの主治医であれば妻も安心なのではないか、と思った。無論、過剰な期待は禁物であるが。。
大晦日。
あと一時間ほどで新年を迎える。
1クール目の投薬を終了した妻は、副作用が強く出ているようで、背中がずっと痛いと言って横になっている。
我慢強い妻がいうのだから相当に痛いのだろう。痛みがずっと続いているということで鎮痛薬のカロナールを飲んでいるが効き目はいまいちという。
投薬から4日目。そろそろ和らいでくるのではないかと期待している。
年が明けて、次の診療日に、もう少し効き目の強い鎮痛剤を主治医にお願いしようと思っている。
病気の再発は2023という年を、わたしの人生の中で最悪の年とした。
このブログも妻の病気が無かったら始めることはなかった。
それほど情報に飢えていた。
ブログで知り合ったみなさん。
たくさんの情報をありがとうございます。
不幸にして旅立たれた方たち。
お悔み申し上げます。
妻と同じ病気で長く闘っておられた方が残されていたメッセージはしばらく涙で読めなかった。
「最後にもう一度帰りたかった」
この一言にどれだけの思いが詰まっているのか。
とても重たい一言だった。
もうすぐ、2024年。
病と闘うみなさんにとって本当に良い年になりますように。
心から願って止みません。