海に手を取られて走りながら、瑞希は心が落ち着いてゆくのを感じた。
後方からは、真司の呼ぶ声が暫く聞こえていた。
しかし、瑞希はまるで夢の中の声であるかのように、まったく気にかけなかった。
どれ程か走り続けた後、公園の入り口が見え、海はその中に駆け込んだ。
そして、そこでようやく足を止めた。
「真ちゃんに恨まれるな」
海は、息を切らしながら呟いた。
「…知ってるの?真ちゃんのこと」
瑞希は、さっきまでのことを忘れ、驚いた顔で尋ねた。
「直巳…、コイツは俺の友達。病院で意気投合したらしいよ。まさか、アイツが真ちゃんだったなんてね…」
海はおかしそうに笑いながら、傍のブランコに腰を下ろした。
瑞希は、彼がなぜ笑うのか不思議だったが、何も聞かず彼の隣りに同じように腰を下ろした。
「…アイツ、途中まで追いかけて来てたんだけど」
「…真ちゃん…、知ってたのかな?」
瑞希は、彼がどういうつもりで今日自分を誘ったのかと、ふと考えた。
真司は途中で別の道に入ってしまい、少し遅れて二人がいる公園に辿り着いた。
彼はすぐさま二人の元へ駆け寄ろうとしたが、瑞希の声に思わず身を隠し、その状態で二人の会話を聞いた。
「彼とは幼なじみなの。ここからちょっと離れたところに隣同士で住んでて、彼のお兄ちゃんと三人でよく遊んでた。小学生の時、向こうの家族が引っ越しちゃって、それ以来ずっと会ってなかった。偶然再会して嬉しかったけど、真ちゃんは暴走族になってて…。これって、偶然なのかな?」
瑞希は悲しそうな表情で語った。
「…あのお墓、和也くんのだった…」
乾いた涙が、再び溢れ出しそうになった。
「…私が、前に付き合ってた人なの…」
瑞希は懐かしそうに言いながらも、悲しげな表情を消してはいなかった。
わかってはいたが、それでも真司のショックは大きかった。
和也の恋人であったと認めることは、同時に、彼女が悲しい過去を持っていると、自ら認めたことになるのだ。
「ウソみたい…。もう、いないなんて…、信じられない……」
涙が、ポロリと零れて落ちた。
「………」
海には、彼女の心が手に取るように読み取れた。
今も、和也を思っていると━━━。
「俺がケリつけるよ。俺と和也さん、そして瑞希ちゃん。敵は一人、楽勝さ」
隠れていた真司が現れた。
「真ちゃん…?」
彼の言葉の意味が、瑞希にはまったくわからなかった。
何を言おうとしているのか、まるで理解できなかった。
当時、彼女は和也に裏切られた。
暫くはそれを否定し、彼を信じようとしていた。
会わなくなってからもずっと、彼が会いに来てくれるのを待っていた。
『いつかきっと』
そう言い聞かせながら、ずっと、待ち続けていた。
しかし、どんなに待っても、彼は彼女の前に現れなかった。
忘れることもできず、信じる気持ちは、次第に、恨みのような、醜い気持ちに姿を変えてしまった。
そうすることで、懸命に断ち切ろうとしていたのだ。
「それって、直巳のケガとも関係あんの?」
横から、海が尋ねた。
「テメーっ、なんで瑞希ちゃんさらってったんだよっ?どういう権利があんだ?おぉ?」
彼の顔を見るなり、真司は怒りで満ち溢れた。
自分を差し置いて、彼女を連れ去るなんて許せなかった。
「真ちゃん…」
「ムカつくべ?」
真司は、瑞希が摑まえていないと、今にも殴りかかりそうな雰囲気だった。
「…俺、帰るわ」
海は無表情ででそう言うと背を向けた。
「辰巳くんっ!」
瑞希は、そんな彼を慌てて呼び止めた。
「あの、前に病院で会った時、ごめんね」
彼女の言葉に、海は返す言葉を思いつかなかった。
あの時は、自分のほうがよっぽどいやな態度をとったと思っていたからだ。
自分より大人の男と一緒のところを見て、なんとなく癪に障ってしまったのだ。
「…私、嫌われてると思ってた」
「………」
海は驚き、動揺した。
彼女のホッとしたような表情は、まるで気のある相手に対してするような顔だった。
真司も唖然として二人を見つめた。
なんのことなのか、さっぱりわからない。
「ありがとう」
そう言うと、瑞希は優しく微笑んだ。
「…俺は別に…」
瑞希は、自分をみんなのところから連れ出してくれたことに感謝して、礼を言った。
「…直巳んトコ戻るよ」
戸惑った海は、逃げるような気分でそう言うと、公園を後にした。
真司は、子供のように拗ねた態度で、瑞希を責めるかの如く黙り込んでいた。
「…真ちゃん?」
「…どういうつもりよ?アイツとはどういう関係よ?なんだよ、一体?」
真司はイライラしながら、気休めにタバコを取り出した。
「あのコよ。前に話した、追いかけられてるのを助けようとした…」
瑞希はこの時、そのその当時のことを思い浮かべ、懐かしくなった。
放っておけなかったわけが、なんとなく見えてきた。
「どうしよう、私…」
悲しみが、急き立てるように押し寄せてきた。
涙が、また蘇って溢れ出した。
「瑞希ちゃん?」
「ごめんね、真ちゃん。…私、好きになれない…。誰も…、好きになれない……」
「………」
気の利いたセリフのひとつも、彼の頭には思い浮かばなかった。
彼女の言葉の意味するところも、何も……。
すぐ傍にいるのに、まるで手の届かない存在であるかのように、彼は両手の拳を硬く握り締めた。
海との出会いに重なって、瑞希の脳裏にもうひとつ別の光景が蘇っていた。
それは、彼女がまだ中学三年生だった頃、初めて和也と出会った時の場面だった。

海の表情は、複雑な心境を象徴していた。
自分が瑞希を意識してしまうのが、どうにももどかしくて仕方なかった。
「海~っ!」
前方から直巳の声が聞こえた。
墓地の入り口で、直巳が一人で待っていた。
考えなしで歩いていた海は、自分がどこをどう歩いてきたか不思議だった。
「今夜の集会、オマエも行かねーか?」
今夜は和也の追悼集会が予定されていた。
直巳たち現役は勿論、圭介たちOBも参加する、毎年恒例の行事だ。
「…和也さんて、どんな?」
「超面食い、か。…知り合いだったんだ?惚れてんだろ?」
海は答えなかったが、直巳はそうだと確信した。
真司の気持ちも聞いて知っているので複雑だが、できれば応援したかった。
彼が誰かを好きになることは、とても必要だと感じていた。
そして、誰かに彼を愛してほしかった。
全ての寂しさを、忘れさせるくらいに━━。