20110325-3,4
この学生英語ミュージカル団体は、毎年二月にメンバーを集め、五月の本番終了と同時に解散する。
そして一部のハマってしまったメンバーが残り、次の年の幹部として二月まで準備する、という流れによって成り立っている。
この団体の稽古は、それまでの舞台とは全く違い、とにかく感動に溢れていた。
もちろん、本番はそれ以上だ。
5月の公演が終わると、案の定、僕は次の年の幹部として動き始めてしまった。
今になって考えてみれば、僕の大学生活が始まって以来、初めて幹部的な立場になりたいと思えた団体だったのかもしれない。
その傍ら、夏には一年前にミュージカルサークルを一緒に辞めたメンバーたちと公演を打った。
ここでは圧倒的な人材不足によって、初めてダンス指導的な立場と、一部振付を経験することになる。
なんとも言えない感じでこの公演は終了。
秋が過ぎるころには、英語ミュージカルの準備が本格化してきた。と言っても僕に課されたのは主にダンス指導的な仕事だったので、とにかくレッスンに通い詰めた。なんせ経験が足りなすぎる。
そんなこんなで二月を迎え、稽古期間に入ると、とにかく公演を成功させたい一心で、次々と目の前に表れる課題をこなしていくことで精一杯だった。朝は8時前から、夜は20時過ぎまで、ひたすら稽古という期間が続いた。
そうして5月の本番は二日間で観客動員4000人を超え、公演自体も大成功に終わり、舞台に携わるようになって初めて120%の満足感を味わった。本気で「今死んでもいい」と思ったのは後にも先にもこの公演が終わった瞬間だけだ。
この年、僕は大学を休学することを決めた。手続きの関係で正確には休学という形はとっていないが、とにかく一年間、舞台に本気で向き合ってみようと思い、この年はバイトと舞台に明け暮れる生活となる。
さて、次はどうしよう、なんて考える暇もなく、夏のミュージカル公演に振付としてのお誘いを頂く。まだまだ経験は足りないけど、やらせてくれるんならやらせてください、ってことで初めて振付師として公演に関わることに。このときの振付は僕以外に一人と、アシスタントが一人いたが、今思えばこのチームは中々バランスのとれたチームだったと思う。しかし、この公演は本番中に新型インフルエンザの猛威に曝され、公演中止を余儀なくされる。
秋になると、今度は英語ミュージカルのメンバーから、5月にやったミュージカルのショートバージョン的なパフォーマンスのお誘いを受ける。ここでも一部振付をやらせてもらったりして、このパフォーマンスはとにかく楽しませてもらった。
このパフォーマンスの練習中、同じ建物で別の公演の準備をしていた友達と偶然鉢合わせ、振付の依頼を受ける。とりあえず一曲だけでいいとのことなので、すぐに作ることに。それまでの振付の現場と違い、基礎練習を積んでいない前提での振付の難しさを痛感した。
そして2月、一年間貯め続けたお金を全て注ぎ込み、NYへ。
とにかく一番てっぺんを見てみたいという一心で向かったNY。
よく考えてみれば約10年ぶりの海外。
もっとよく考えてみれば初めての一人旅。
とにかく全てが刺激に溢れていた。
なるべく長期間滞在するために、あまり治安のよろしくない地域の安ドミトリーを選んだ。
…結果、たまに英語が通じない。そこはスパニッシュハーレムと呼ばれる一画だった。
舞台のクオリティーの高さは当たり前。クラブではみんなでhiphopを大合唱。ダンススタジオのレッスンを受けてる生徒のレベルがおかしい。アマチュアナイトに出てくるアマチュアのレベルもおかしい。駅で歌ってる素人のレベルもおかしい。スタバで鼻歌歌ってるお兄さんのレベルもおかしい。さすが、世界中から集まってきてるだけある。
いろんなものを観た。いろんなものを聴いた。いろんなことを感じた。いろんなことを考えた。
そうして自分なりに出た結論は、何の結論かよくわからないけど、どうにでも生きていける、ということだった。