地震津波停電原発噴火―Performing Arts― | YUKISHITOBLOG

地震津波停電原発噴火―Performing Arts―

二つ前の記事でも書いたとおり、地震が起きた時、僕はちょうど舞台の本番期間だった。地震が起きてからというもの、地震やそれに起因する災害への恐怖、福島にいる友人の安否の不安、節電が叫ばれる中大量に電力を消費する性質をもつ舞台公演を続けることから来る自責の念、それらが合わさって生まれる、本当に今この瞬間にこの公演が必要なのか、という自問自答の繰り返しにより、かつて経験したことのない程大きなストレスを抱える公演となった。


今、舞台に限らず大規模イベントは中止が相次いでいる。同時に、続行を決めるものも数多く存在する。

芸術の無力を嘆く人がいれば、自分たちの仕事はもう少し落ち着いてからだと決めてかかっている人もいる。

別にそう思いたい人はそう思っていればいいと思うが、少なくとも僕はそうは思わない。今、この状況だからこそ人々の心を癒す芸術、エンタメが必要なのだ。ただ、その形式はよく考えなくてはならない。僕が悩んだのはそこである。節電が促される中、舞台を使って公演を打つ必要が必ずしもあるのだろうか。performerを自覚するなら、このような状況下において身一つで魅せてやるくらいの意気込みがあってもいいのではないだろうか。もちろん、音響や照明を蔑んでいるわけではない。それらによって映えるというのも今では立派な能力である。ただ、Performing Artsを舞台芸術と訳してしまう頭の固さを一度取り払って、こんなときだからこそ舞台に頼らずPerformanceしてみるという選択肢があってもいいのではないだろうか。もちろん、現実には金銭的な問題が絡んできて相当に難しいのだろうが。


以上はハードについてだが、せっかくなのでソフトについても触れておきたい。この地震が起きた直後、多くの人と同じように僕も先の見えない恐怖に襲われていた。一週間経ってようやく落ち着いてきたかと思いきや、ここ数日急に悪夢を見ることが多くなった。所謂急性ストレス障害というやつだろう。このような状況になったとき、自分が求めたのは無条件にハッピーな作品だった。小難しい作品や教訓めいた作品、暗闇の中一筋の光を見出すような作品よりも、中身なんて薄っぺらくてもいいからとにかく楽しくてテンションが上がるようなものを観たい、聴きたいという欲求が生まれたのである。無意識に精神の安息を求めていたのだろう。連日暗いニュースが続く中でその対極を求めるのは考えてみれば当たり前のことなのかもしれないが、実際に自分の身に起こるまで気がつかなかったことである。


恐らく近い将来この地震は映画化され、来年の今頃にはこの震災を題材とした舞台作品も数多く生まれることだろう。それが生まれること自体は自然なことだし、否定するつもりはない。ただ、数年内に作品として発表するのであれば、それは教訓めいたものや単に感動を呼ぶヒューマンドラマにするのではなく、この震災を経たことによって今後この国に起こりうる危険に対する警告であるべきだろう。



最後に、前々回の記事でも書いた福島の友人は、無事に生き延びて関東に避難してきていた。連絡が入ったのは千秋楽の翌日のことである。何に感謝したらよいのかわからないが、本当に安心した。そして、今回の震災で亡くなられた多くの方々、ついに8000人を超えて今なお増え続けています。行方不明者を合わせると20000を超えてしまいました。一人でも多くの命が助かるように、祈ってます。