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いつまでも 一緒に

38歳で天国へ行ってしまった最愛の夫。
二人三脚で頑張った日々とこれからを、
遺された妻が綴ります。

毎日残業しても追いつかないぐらい忙しいこの時期に、
あろうことか?有休を取り市役所へ行ってきました。

5年前の今頃、婚姻届を提出したのと同じ窓口に、姻族関係終了届を出した。

紙だけもらって1年以上経ってたみたいで、よく見たら「平成」の用紙でした。
出すのを躊躇ってたというより、いつでもいいやみたいに思ってて時間が経った感じ。

義父母とは本当にたまに連絡をし合うぐらいで、
不義理な私は特に贈り物とかしてない。
(のに、うちの両親が贈ってる滝汗)
縁を切ってやる‼️とか考えてたわけでもないし、
扶養義務や介護する義務から何としてでも逃れたいと思ってるわけでもない。
(そんな人たちではないし)

ただ、何かもう「嫁」をやめたくなったのです。
本当に何となく。
何となくでそんな書類出していいの⁉️って感じだけど、
何となくじゃなきゃ出せないよ、ずっと。

窓口に呼ばれて10分もかからず手続きも終わり、
何だかあっけなかったなぁ…
ちなみに復氏届は出してません。
また全部名義変更とか気が遠くなるし…


ただ、夫に対しての後ろめたさは多少あります。
愛している人の両親と、書類上は関係をリセットしたわけだから。
もし私のこの行動を夫が知ったら失望するだろうな。

でもごめんね。
後に遺った私の好きなように生きていいよね?



何が変わったわけでもないのですが、
ちょっとだけ身軽になってまた生きてゆきます。
昨日で祖母の葬儀も終わり。
荼毘に付されて、小さくなってまた家に帰ってきました。
両親は、相続手続きなどこれからやることが山積み…
私が手伝えるのは、モノの片付けとかだな。


チロの葬儀は無宗教だったので一切やらなかったけど、
21年前の祖父と、今回の祖母のときは
棺の中に旅支度の諸々が入れられていました。
家族みんなで脚絆とかを着け、
六文銭(を、印刷した紙)や杖などを納めた。
ひとつひとつ、葬儀場の人が説明してくれました。
大量生産されたであろうそれらにあまり意味などないのかもしれないけど、
少なくとも祖父の時よりは、いちいち「ほぉ〜そのために入れるんだ」とか思いながら見ていました。


おばあちゃん
いよいよおじいちゃんのいるところを目指して
旅立つんだなぁ。
足腰悪かったから、その杖でちゃんと辿り着けるかな。
もう川を渡れたのかな…
そんなこと考えてたら涙でマスクもびしょびしょえーん

私からは手紙と、成人式の時に一緒に撮った写真、
そして金平糖と氷砂糖を少し。
飴を舐めるのが好きだったから…とくにその2つがね。

印象的だったのが、母が切ってきたと思われる
庭の金木犀。
お顔の横に納められました。
体調を崩すまで農作業や園芸に精を出していて、
庭も花や木でいっぱいだったもんね。
これから金木犀の季節は、私や家族にとって
おばあちゃんのことを思い出す季節になりそう。


家族を大切にすること、
真面目に働いて生きること。
言葉で教えられたわけでなくても、
祖父母の姿から学ばせてもらったのは特にそのふたつです。
今はまだ全然だけど…
いつか死ぬ前に、成し遂げたなと思えるように生きていきたい。

おばあちゃん、ありがとう。


昨夜23:30、祖母が旅立ちました。

10/1に急遽入院が決まり、看取りまでお願いするということだったけど
こんなに早くその時がくるなんて。

病院には行けないので、実家へ行きおばあちゃんの帰りを待ちました。

たった5日の入院生活だったけど、
かなり辛い状態だったんだと思う。 
痛かったり苦しかったりしたんだと思う…
そう見て取れるような顔つきでした。


空襲に遭い、何もないこの家にお嫁にきて、
とにかく真面目に、必死に働いてきたおばあちゃん。
あなたと一緒に暮らしたおかげで、
培われたものが本当にたくさんあると思う。


19年ぶりにおじいちゃんに会えたのかな?
話すことがたくさんあるでしょう。
おじいちゃんは78歳のまま、
おばあちゃんは95歳だから、
自分だけ歳を取っていて嫌だってきっと言ってるよね。
チロにも会ってるのかな…


空になった介護ベッド、帽子や洋服、
古くなってしまったけど懐かしいおばあちゃんの家、
そしてそこに眠っている小さくなったおばあちゃん。

チロがいなくなって、涙も枯れるほど泣いたと思ったのに
悲しくて、寂しくて、会いたくて泣いてばかりいます。
最後に話した時、そんなに泣くなと言われたのにね。
たくさん心配かけてごめんなさい。
何とか生きていくから見守っていて。