25年か30年、もっと前だったかなぁ、とにかくそれくらい前に書いた短編です。
ファイルをアレコレ整理してて久々に見つけたというか見かけたので、モノの試しにブログに載せてみます。
随分前に別アカのブログで一回載せたことありましたけどね。
よろしければ一読を。
興が乗ればもう一本上げたいと思います。
雪
男は気が付くと真っ白な世界に一人で立ちすくんでいた。何もない。遥か遠くに木らしきものが二本見えるだけだ。空でさえ、白い。
おかしい。さっきまで俺は、駅前通りを初夏の陽気に汗ばみながら歩いていたはずだ。するとこれは夢か。
夢なら、何となく納得が行く。しかし、俺はいつ眠りについた?
腑に落ちないまま、男は何げに一歩踏み出した。
足下で『サクッ』という小気味良い音がした。
雪か。
男がそう考えると同時に、静かに雪が降り出してきた。
男は南の国の人間なので実際に雪を見たことはなかったが、何故か、足下に広がるそれも空から降ってくるそれも雪であるということは分かっていた。
生まれて始めての雪。妻や子供でさえ見たことのない雪。
男は足下の雪を一握り手に取った。雪は男の手の中で静かに融けていく。
男はもう一度雪を手に取って今度は雪玉を作った。そしてそれを雪の上で転がし始めた。
雪だるまを作ろう。そして娘に見せてやろう。
雪玉はどんどん、どんどん大きくなっていく。
直径1メートル程の大きさになった時、男は転がすのをやめて二つ目の雪玉を作り始めた。
程よい大きさになった雪玉を男は最初の雪玉にのせた。それから小さな雪玉で目や鼻を作った。
雪だるまだ。完璧な雪だるまだ。
娘と妻の嬉しそうな顔が思い浮かんだ。
見せなくては。見せてあげなくては。
しかし、ここは何処だ?俺は何処にいる?
男はあたりを見渡した。しかし、遠くの二本の木以外にはやはり何もなかった。
取りあえずあの木のところに行こう。家があるかもしれない。
気付くと雪はさっきより降りがきつくなっている。
男は二本の木に向かって歩きだした。転ばぬように歩きながら考えているうちにさっきの疑問が男の頭に蘇った。
これは夢なのか?だとしたら俺はいつ寝たんだ?
それとも、さっき駅前通りを歩いていたのも夢なんだろうか。
いや、そんなはずはない。俺は確かに駅前通りを歩いていたはずだ。
信号が変わるのを待っていた。そこまでは覚えている。
しかしそこから先の記憶がない。
気が付くとここにいた。この、辺り一面雪の世界に。
やはり夢なんだろうか。じゃなければ今のこの状況を説明出来ないし、俺自身も納得出来ない。
しかし夢であることにも今一つ納得出来ない。
男は歩きながら顔を上げて遠くの二本の木に目をやった。
かなり歩いたつもりだったのに木は全然大きくならない。予想以上に遠いんだろうか。腕時計に目をやると二時半を少し回ったところだった。
そういえば信号待ちの間に見た時も同じ時間だった。
男はもう一度腕時計を見た。
秒針が止まっている。動いてない。
ますます夢のような気がしてきた。しかし夢の中では時間は進まないんだろうか。
とにかく、あの二本の木のところに行こう。今、俺に見えるもので雪以外の物はあの木しかないんだから。
男は早足になった。気が急いてるだけではなく、雪が二本の木をも隠してしまいそうな勢いになってきたからだ。
雪で見失ってしまう前にあの木のところに行かなくては。
それから男はもくもくと、ただひたすら二本の木に向かって歩き続けた。
三十分程歩いただろうか。時計が止まっているので本当のところは分からないが。
男は妙なことに気付いた。
雪が積もっていない。
今にも遭難しそうな程雪は降っているのに地面にも、そして自分にも雪が積もらない。
振り返って足跡を見てみると、靴の裏の形がしっかりと残っていた。もっとも、雪のせいで見えた足跡はたった一つだけだったが。
やはり夢、なんだろうか。辻褄が合わないのは夢ではよくある事だ。
しかし、夢の中で夢だと気付く事があるのだろうか。
もし夢なら、どうすれば覚めるのだろう?
やはりあの木のところに行くしかないのか。
男は二本の木を見た。
雪のせいでかなり見えにくいが、最初に見た時より心なしか近いように思える。
しかし、最初に見た時と変わらないようにも思える。
果たしてこのまま歩き続けてあの木のところにたどり着くのだろうか。
男は一瞬迷ったが、歩き始めた。ただここに突っ立っていても事態が変わるとは思えない。
それに、あの二本の木しかここにはないのだとしたら、二本の木にはきっと意味があるのだろう。
だとすればやはり木のところへ行くしかない。
男は、半ばこれが夢であると確信しつつ歩き続けた。
目が覚めたら夢分析の本を買おう。雪と二本の木、何か意味があるはずだ。
そういえばさっき作った雪だるまはどうなったんだろう?
ずいぶん歩いてきたし、それにこの雪では見つけようもなかったが、男はちょっと気になって後ろを振り返った。
が、やはり雪だるまは見えなかった。
もっともだと思いつつ、男は向き直って二本の気の方を見た。
しかし、二本の木は無かった。
いや、無かったのではない。雪で見えなくなったのだ。
木だけではない。何も見えなかった。雪そのものさえも見えなかった。
自分以外の全てが白一色になっていた。
男は焦った。これでは何処にも行きようがないではないか。
夢なら、早く覚めてくれ。
そう思った時、この雪の世界に来る直前の記憶が蘇った。
交差点で信号待ちをしている時、誰かが俺を呼んだ。
いや、呼んだ訳ではないのかもしれない。しかし、誰かが何かを叫んだ。
俺は信号が変わったのを確認して歩きだしながら、その声がする方を見た。そこに── ああ。
これは夢じゃない。
―――――
妻は震える手を娘の肩におきながら、上の空で医師の話を聞いていた。妻と娘の視線の先には変わり果てた夫の姿があった。
「─―呼吸が止まり、三十分間蘇生を試みましたが、心肺が再び機能する事はなく、十五分程前に息を引き取られました。残念です」