6年目にして思うこと。 | 私的批評

私的批評

日々読んだ本、観た映画などについて極私的に批評しています。
その他気になることをつらつらと書き綴っています。

今月は、結婚式ラッシュです。
先々週・先週で3回、お招きいただきました。

めでたいです。

狭く・深く派の僕にとっては数少ない友人の中で、
今月の3回を含め、これまで出席させていただいた結婚式の新郎たちは、やっぱりこれからも永い付き合いを続けたいと思える友人たちです。

で、今年の3月、先週の土曜日と大阪に帰って実家に泊まったのですが、なんか、ちょっと落ち着かない。
20年以上一緒に過ごしてきた家族との空間、それが落ち着かない。
東京に住み始めて丸5年。
自分の知らない間に慣れ親しんだ街が少しずつ変わり、家に関しては、家具・家電、そしてそれらの配置が変わり、自分の部屋はもちろんなく、歯ブラシも毎回新品。
バスタオルもどれを使っていいのか母親に聞く始末。

そして、一番感じるのは家のニオイ。
住んでいる頃は全く違和感を感じなかったそれが、今では一番違和感を感じるものになっていて、少し寂しい気もします。

ただ、やっぱり家族と接したり、20年来の友人たちと接すると、それこそ結婚など様々な状況の変化はあるものの、落ち着きというか、お互いの存在が不変であることに気づきます。

自分を取り巻く環境は日々刻々と変わっていきます。
でも、これまで自分が心を許し、幾多の時間も共有してきた家族や友人たちとの空気感、距離感は変わりません。
自分にとって落ち着きや安らぎを感じるのは家などの空間という物理的なものではなく、そういった人たちとの時間なのでした。

なので、きっと僕には帰るところがあるんだなと。
そう思います。
決して逃げの意味ではなく。
それは大阪とか、東京とか場所じゃなく、その時々で自分が身を置く環境なんだろうな、とか考えてしまいました。
だから、僕は大阪に行く時も「帰る」という言葉を使い、
自宅のある東京に向かう時も「帰る」と言います。

そして、これははっきり言えます。
もう自分の意志で大阪に住むことはありません。
それは、今の自分が進む道に迷いがなくなってきたから。
今の自分を取り巻く環境が大きな充実感を与えてくれているから。

大阪に住む大切な友人たちが、それぞれ幸せを掴み、残ったのは僕だけになったから…、というのもあるかもしれません。

そして、大阪にあるそれと同じように、東京でも「帰るところ」を築いていきたい。
そう思います。


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