ビジネス自己成長、したたか自己啓発 芯のある成功と幸せを手に入れる -78ページ目

自己変革と成長の瞬間に、ドラマなどない。


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自己啓発を間違った形でやるヤツの勘違いの中で
また1つ大きなのを思い出した。


それは、
人生の変革や、自分の大きな変化は、なにかドラマチックな形でやってくる、
という誤解だ。



自分の中で、何もかもが地割れのように大きく音をたてて動くような。


そんな大きな瞬間を期待して、セミナー通いを重ねる原因になる。
(もっとヒドい場合は、新興宗教にいってしまうんだろうな)


はっきりいうが、自分が変わる瞬間に、そんな大げさな機会など、ない。
後から気がついて、
「そういえば、あのくらいの頃から、なんとなく変わってた気がする…」
というくらいに思えるのが、本当だ。


当たり前の話だが、ドラマがないからといって、意味がないのではない。
成長というのは、たぶんドラマよりももっと、貴重で大切なことのはず。
あなたにとっては、どうだろうか?


今日のまとめ。


自分が成長する、変わることについて、何もドラマチックなことはない!
そんなことがおきることを期待して、求めていると実際の成長からは
遠ざかる。ドラマよりも、静かな変化なのだと知っておくこと。



このことを押さえておくと、
運もよくなって成功を呼び寄せやすくなる「ある行動」が
身についてくるようになる。
これについては、後述する。


では、以上だ。
読んでくれたあなたの、明日の栄光と平安を祈って、さらば。



人間関係を「捨てる」という技術!


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今日は少し角度を変えて、自分の感情の中で持っておくといい
「捨てる」ということについて話そう。


どういうことかというと、人間関係が疲れる、
あるいは、自分自身がいつも何か人と会ったあとでクタクタに
なったり、他人と会うのがおっくうになったりする人は、
「捨てる」ということを覚えておくといい、ということだ。


人間関係で疲れる。
人と会いたくない。


そういう気持ちというのは、

・目の前の相手に、どう思われるだろうか
・相手から、自分の心をかき乱されたくない
・自分の気持ちの平穏を、人にジャマされたくない


というようなココロの前提から、起こっている。


言い換えるなら、これは、自分の気持ちの状態を、
「相手の動き」にゆだねてしまって、それに反応していることになる。


それをやめて、
自分が(もちろんココロの内側でいいから)相手と、関係を評価する目線を持つことだ。


コイツとしゃべって、面白いだろうか。
コイツとあって、良し悪しを決めるのは、自分。

そしてそう思いながら、つぶやく。


「いつでも自分は、心の中で、この関係をたとえ捨てることだって出来る」


もちろん、自分の周りの関係をどんどん断ち切りなさいというのではない。
このように考えることで、自分と他人の関係を、自分の中で
きっちり主体的コントロールを持って見られるように変化できるのである。


今日のまとめ。


人間関係は、自分の内側で主体性を持てばラクになる。
自分自身が、関係の中身を「判断して作る側」の立場だと知れ。
そして、必要なら自分が「捨てる」ことが出来ると知れ!
相手が、あなたを決めるのではない。自分がそいつを決めるのだ。




自信というのは、こういった内面の動き1つで、生まれる。
そしてそこから外側の事実も作っていける。この方法は、後述する。


では、以上だ。
読んでくれたあなたの、明日の栄光と平安を祈って、さらば。



自己啓発の学びも、結局は外の世界で使うものだ


「学校で学んだ知識が、そのまま社会で役立つとは限らない」


という言葉は、なにかにつけ世の中のあちこちで言われるが、
これはそのまま自己啓発の世界にもあてはまることだといえるだろう。


上記の言葉が、
そのまま役立つとは限らない=意味がない、というわけじゃないのと
同じように、自己啓発で学んだことも、意味があるのだけど、そのままそっくり
使えるわけじゃないという点に留意しておく必要がある。


言い換えるなら、自己啓発もまた、セミナールームの中の世界だ、ということ。


そして、誰もが結局は、外の世界にかえって、そして活躍していく中での
真価が問われて、人生の質にかかわってくるということだ。



ここの点を、実はわかってないヤツが多い。
おそらく自己啓発セミナーは、子供の頃の学校と違って性格上営利商品のため
何度でも再参加して「そこに戻る」ことができるからだろう。


つまり多少金銭に無理をすれば、お金を払って、永遠の大学生キャンパスライフに似たような
「擬似モラトリアム」の世界をつくることすらできてしまう、ということ。



事実、そうしている人間が自己啓発には多い。
セミナーに再参加して、同窓会のように、
「その中でだけ」心を開いて、息ヌキをして去っていく。
そして本人はそれを学びだと思っている。



アホか、と思う。
自分を開いて、動くのは、結局実際の人生の場面場面だということを、
忘れてはならない。 人生はセミナールームの中には、ないのだ。



今日のまとめ。


自己啓発で学んだことは、外の世界で使うためのものだ。
だからこそ、学ぶ際、そして学んだ後も、実際に外の世界でいかに
役立てるかというフィルタを常に意識せよ。
自己啓発のセミナールームに戻ってくることが、ユートピアなのではない。




では、どうやって具体的に役立てるのか、
フィルタはどうやって意識してつくっていくのかということになるが、
これらについては後述する。
まず、ポイントそのものに気づくことが肝心だ。


では、以上だ。
読んでくれたあなたの、明日の栄光と平安を祈って、さらば。