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Gと私の間が近づくにつれ、学校のスタッフからの私への風当たりは、いっそう強くなっていきました。皆、私たちが「遊びで」付き合っているのだと思っていたようで、「これが学校長に知れたらどうする?!」と、とにかく躍起になって、私を一刻も早く学校から追い出そうとしていました。でもGは「僕は知られても構わないよ。」と、私たちの仲を隠す様子は一切なく、私たちが一緒に住もうとしていることまで、同僚たちに話してしまいました。すると、意外にも、一番の責任者の女性スタッフJだけは、「あなたたち、真剣に付き合っていたのね。なら私は応援するわ。」と私たちをサポートしてくれ始めたのです。そして「アパートを探すなら、安全で静かでいい街を知っているわよ。」と、クイーンズにあるアストリアという町を勧めてくれました。とにかく安全な場所を、と思っていた私たちは、そのアストリアでアパート探しをすることにしたのです。

このアパート探しがまた、超難航したのですが・・・この話はまた、別の機会にするとしましょう。。。ハチ


そして、学校の契約も切れ、クイーンズカレッジでの授業が始まるまでのつかの間の夏休みに、私たちはようやく決まったアストリアのアパートで、二人で暮らし始めました。

やっとのことで安心できる場所を得てホッとした私は、今までの疲れがどっとでたのか、引越早々、熱を出して寝込んでしまいました。ベッドから起き上がることもできない日が続き、そうしている間に、クイーンズカレッジのESLの授業が始まってしまったので、数日遅れでの入学になってしまいました。でも、アストリアでのGとの生活は、本当に楽しくて幸せで・・・私は、少しずつ、少しずつ、元気を取り戻していきました。


そんなある日、私のもとに小さな小包が届きました。

引っ越したばかりだし、日本の家族から何か送ってくるという知らせもなかったので・・ちょっとビックリしました。
宛名を見てみると、確かに私の名前ですが、ブルックリンのホストマザーの住所に送られたものでした。
引越したことは、日本の家族や友人も知っているし、誰もホストマザー宅に手紙や物を送るであろう人はいなかったのですが、新居に引っ越したのを機に、”念のため”、郵便局に転居届けを出してあったので、転送されてきたのでした。

「でも、なんだろう・・・・・・?」

差出人は、どこかのお店のようでした。
私はとりあえず、箱をあけてみることにしました。(今考えると、危ない行動ですが。汗)


箱の中にはなにか・・・クルクルドライヤーの本体部分ようなものがみえました。取り出してみると、そのクルクルドライヤーのようなものの先に、紫色で三角のものがついていました。ちょうど、子供が砂遊びをするスコップのような感じです。

「何だろ・・・・・・・・・・・・?」

見たこともないものでした。買った覚えももちろんありません。


「これはおかしい!」
とにかくGに連絡しなければ、と思った私は、GのBeeper(ポケベル)を鳴らしました。
しばらくして電話してきたGに成り行きを伝えると、Gも「What?(何だって?)」と気味悪げでした。宛先の住所がホストマザーの家だった、というのも不可解です。とりあえず、そのものの形状を口で説明しましたが、Gにもわかりません。

「箱になんか書いてないか?」
「箱に?ちょっと待って・・・・」

ラベルやらいろいろ見てみましたが、箱には、てがかりになることは何も書かれていませんでした。
が、明細書のような紙に、商品名らしき名前が・・・

「え~と・・・・・T-O-N-G-U-E・・・Tongue(タング)!」

「Tongue?(舌)」

・・・・・・そしてその直後、Gの頭の中で全てがつながりました。

「 Ohhhhhhh, Shittttt!!!!!(うーわっ!マジか?!?!)」

そして私も・・・

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」( ̄□ ̄;)!!


送られてきたその商品『Tongue』は、いわゆる「アダ○トむけのおもちゃ」だったのです!
もちろん私は購入していません。でも、明細書をみると、私のVISAカードで買われているのです。

「あぁっ、やられた!!!((>д<))」
実は・・・渡米当初、マンハッタンでVISAカードを盗られそうになったことがありました。結局そのカードは手元に戻ってきたのですが、一度手を離れたものだったので危ないと思い、カード会社に連絡をして止めてもらい、新たな別のカードを発行してもらって、日本の実家から送ってもらっていたのです。そしてその使えなくなったカードを、切って捨てておけばよかったのですが・・もう止めてあったので安心してしまい、ホストマザー宅の自分の部屋の引き出しの中に、ポンと入れていたのです。今回使われていたのは、やはり、そのカードのナンバーでした!


家に帰ったGは、その小包を自分の目で確かめると、商品を送った店に電話をしました。そして、ことの成り行きをその店の人に説明すると、店の人もわかってくれたようで、私には送料の負担もなく、返品できることになりました。とりあえずホッとしました。

そして私は、カード会社に連絡をし、そのカードが使われた記録を、コピーして送ってもらうことにしました。
そして数日後、送られてきたコピーを見て、私は言葉を失いました。Tongue購入時の用紙には、私の筆跡に似せた私のサインが書かれていました。そして別の紙には、それ以前に私のカードを使って買った、子供服や靴の記録が!!日付をみると、それらはまだ私がホストマザー宅で楽しく暮らしていた頃に購入されているのです。


あの笑顔の裏で、こんなことをしていたのか?!・・何ともいえない悔しさや怒りがこみ上げてきました。と同時に・・・子供の洋服や靴を買った彼女の親心を思うと、そうまでしなければいけない事情があったのか?・・と、その当時の私なりに、アメリカ社会における黒人たちの悲哀を感じ、悲しい気持ちでいっぱいになってしまいました。
それに、あのような別れ方にはなってしまったけれど、それでも、最初の頃のホストマザーとの思い出は、私にとって大切な宝物でした。その思い出を、どう頭の中で整理すればいいのか・・・分からなくなってしまいました。


翌日、クイーンズカレッジの授業が終わってから、私はその「証拠の記録」を持って、マンハッタンの英語学校にいきました。スタッフにそれをみせると、皆驚いていましたが、女性スタッフJだけが、
「本当に申し訳ないことをしたわね」と、私の手をにぎって謝ってくれました。そして
「あなたや、あなたとGのことを誤解していたようで・・・ほんとうにごめんなさい。」
と、今までのことに対しても、あらためてきちんと、私に謝罪してくれました。

「ホストマザーのことは、学校として対応しておくけど・・・あなたはどうする?訴えることもできると思うわよ。」
とJに言われましたが、

「いえ、訴えはしません。私はもうこれで、結構です。」

と答えました。Gは今までの経緯も知っていたし、「訴えよう!」と怒っていましたが、私はもうホストマザーのことは忘れたかったし、関わるのも嫌でした。それに、Tongueは返品したし、もう銀行からお金が引き落とされていた子供たちの衣類は、それほど高額ではなかったし・・・何より女性スタッフJの真摯な気持ちが伝わってきて、私は彼女の言葉だけで十分、救われたのでした。他のスタッフからは、一言の謝罪の言葉もありませんでしたが。。。。。。




その後Gは、もっと将来性のある仕事をしたい、と転職。そして一年後、私とGは結婚し、私は永住権を取得して、2004年に帰国するまでニューヨークで暮らしました。思えば、9年弱のアメリカ生活は、泣いたり、笑ったり、怒ったり、絶望したり、歓喜したり、・・・毎日がチャレンジで、普通とか平穏と呼べる時期は、ほとんどなかったように思います。このホストマザーの一件を振り返る心の余裕すら、ありませんでした。

今回、『ホストマザー』を書いたことで、記憶の奥底にあった当時の出来事や、その時々の心情を思い出すことができました。それと同時に、関わった人たちの言動の背景に、アメリカ社会に今なお存在する人種問題やその他、さまざまな問題が、今の私には、はっきり見てとることができます。
それに、当時の私の危なっかしさときたら・・・(><;)。「あんなに無知で無防備だったのに、よく無事に暮らして、無事に帰ってこられたなぁ・・・」と、今更ながら恥ずかしくなります。



あれから16年。ホストマザーとの出来事は、私にとってはもう、懐かしい思い出になりました。
でも、ひとつだけ・・・・いまだに疑問が残るのです。


Tongue(タング)は、私への嫌がらせだったのでしょうか?
でもそんなことをすれば、足がつくので・・・そんなマヌケなことはさすがにしないと思うのです。

となると、やはり・・・・

ホストマザーが、自分で使うつもりで・・・・注文したのでしょうか??((゚m゚;)汗



星


はぁ~~やっと書きおわりました。(;´Д`)ノ
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました!<(_ _)>



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