ヤリマンの仕組みについて書かせていただく。なお、ヤリマンに対しての否定的な感情から書くものではなく、ただヤリマンであるという状態の一例を挙げるだけであり、批判や中傷を目的とはしていない。また、私の身近にいるヤリマンを分析したものであって、世界中のヤリマンに必ず共通する普遍的ヤリマン理論ではない。また、ここで取り上げるヤリマンは押しに弱い「不可抗力ヤリマン」ではない。
ヤリマンと普通の人の違い
まずヤリマンとは、男性にふしだらな女性のこと。つまり男性と簡単に肉体関係を持つ女性のことを指す言葉である。
一般的に、肉体関係を持つことは「身体を許す」という表現からも分かるように
(主に異性との)人間関係において大きな信頼が必要なものである。
生物的にみても、安易な性行為は衛生上危険であるし、
社会的にみても人間関係のこじれやいざこざを起こさせやすい。
だからこそ、一般人はある程度信頼できるパートナーとだったり、婚約者とだけ性行為をするのである。
しかしヤリマンは違う。ヤリマンは性行為の相手を選ぶとき、信頼を基準としない。
ヤリマンは相手を「自分の自尊心を満たすか」で選ぶ。
ヤリマンの特徴
ヤリマンはたいてい自尊心と自己肯定感が低い。その原因はさまざまであるが、ほとんどは人間関係がうまくいっていないせいである。
同性の仲間とうまくやっていけない(友達と呼べる人が少ない)、コミュニティになじめない など。
しかしヤる相手が見つかる程度には容姿が良いのに、なぜ友達が少ないのか。なぜコミュニティになじめないのか。
それは性格が悪いからである。
↓ヤリマンの性格と見た目の雑な図
人がヤリマンになるまで
ヤリマンになる人は、普通の人よりちょっと容姿が良い傾向がある。
そして性格の良さはそれに反比例して低い。(自己中心的、歪んだ価値観をもつ)
ヤリマンはそこそこの容姿と、そこそこ嫌われる性格を備えている。
しかしこれらの要素だけがヤリマンを生み出すわけではない。真に人間をヤリマンへと変えるのは「嫌われていることを気にしすぎてしてしまう」ところにある。
もっと詳しく言うならば
嫌われを気にしすぎて病んだ後、開き直ってヤリマンとなる。
この過程を表すと以下のようになる
性格が悪い
↓
周りに疎まれるorなじめない
↓
自己肯定感が下がる(嫌われを気にしすぎ)
↓
自身の容姿にすがる(性的な魅力で自己肯定感を補おうとする。開き直り)
↓
性的魅力を肯定してくれるのは異性、肯定の手段は性行為
↓
一時は自己肯定感が満たされるが、根本的な解決には至らない(性格が悪いまま。)
↓
周りに疎まれるorなじめないに「虚しさ」が加わって、以前より辛い状態になる
↓
性的魅力で自己肯定感を補おうとする
↓
性行為、解決せず、虚しさ、辛い、性的魅力で解決しよう、性行為、解決せず、虚しさ、辛い.............
↓
いつしかヤリマンとなっていた。
これがヤリマンへの過程である。ヤリマンは自己肯定感の低下を引き起こす問題を解決せずに、ひたすら性で自己肯定感を補おうとしているのである。
ヤリマンとは
自己肯定感をコップに入った水だとすると、ヤリマンはそのコップを持って走っている。
走れば水がこぼれる。ヤリマンは水が減った!と落ち込む。ヤリマンはそこら辺の水を汲んできて継ぎ足す。コップに水がたまったらまた走り始める・・・
そんな状況を見れば、走るのをやめろよ と思うのが普通だ。いちいち水(自己肯定感)を継ぎ足すんじゃなくて、減らさなように努力しろ と。だがヤリマンはそれに気が付けない。もしくは気づいてはいるが認めたくないのかもしれない。
もう一度言うが、
ヤリマンとは根本の問題である、「自身の性格によって自身の環境が悪くなっていること」を解決せずに、その問題によって引き起こされた自己肯定感の低下を性行為で補おうとしている状態の人なのである。
ヤリマンによって来る男の大半は、相手の性しか見ていない。快楽を得るために相手の身体を利用しているのであって、決して人間として相手を信頼した、あるいは必要としたからヤったわけではない。
初期のヤリマンはそれに気が付かない。とりあえずその場では必要とされたので、自尊心が満たされる。しかしどこか虚しさが伴って、それがなぜ襲ってくるのかわからない。そしてまた日常生活で自尊心がすり減るか、その後に男がヤリモク(性行為だけが目的)だったと気付くかすると落ち込んで、自尊心が減る。そしてまた減った分を性行為で解決しようごまかそうとする。そうしていつしかヤリマンは
結局、性でしか他人に認められない、自分の需要は性しか無い。
と思い込んでしまう。その思い込みはヤリマンにとって辛いものである。
友人に、認められること、肯定されること。恋人に、人間として尊重されること、肯定されること。これらすべてが満たされず、自分はどうやって、何を人から認めてもらえるのかと悩んだあと、自分には何もないと思い込む。そして最後に、ヒトが元から持っているもの、性に頼るのである。
ヤリマンが進行すると
みなさんはツイッターやインスタグラムで、このような投稿を見かけたことはないだろうか。
「セックスしか脳が無い男が一回寝ただけで彼氏ヅラすんなwww」(DMやLINEの会話のスクショと共に)
「平然とした態度で話してたのに、家着た途端にセックス猿になる男まじでww」
こういった、男×蔑み×性の投稿を。また、いいねやリツイートをしている方を見かけたことはないだろうか。
亜種として 言い寄ってくる男×蔑み=男性全体への批判 というのもある。
ヤリマンが進行すると、こういった思考をもつようになる。(フェミニストとは異なる)
こういった考えへと至る過程は単純である。
前項の ヤリマンとは でも書いた
「ヤリマンによって来る男の大半は、相手の性しか見ていない。快楽を得るために身体を利用しているのであって、決して人間として相手を信頼した、あるいは必要としたからヤったわけではない。」
に関わっている。ヤリマンは時間をかけてこの事実に気が付く。目を背けることもあるが、大抵のヤリマンはこの事実を受け止める(ような姿勢をみせる)。虚しさの元はここにある。本当は自分の中身を見てもらえてない。さて、この問題をヤリマンはどう解決するだろうか。
ヤリマンが問題に直面した時にとる思考、行動は基本同じである。
根本を解決しようとせず、ほかの行為で補おうとする
自己肯定感の時と同じである。ヤリマンは根本である「自分の性しか見られていない」という問題を直接解決するようなことはしない。ほかの行為、つまり男性(ヤリモク男)をさげすむことで、虚しさをごまかしつつ自尊心をあげるのである。虚しさをごまかすだけじゃない、自尊心もオマケでついてくる。ラッキー!
こうして、ツイッターやインスタという媒体から男性批判を発信するのである。
だが、ヤリマンたちは気が付いていない。
この投稿、この思考が、自分がヤリマンであることを肯定した上で成り立っていることを。
ヤリマンたちは投稿、いいね、リツイートによって「自分はヤリマンです!」と宣言していることに気が付いていないのである。
もしくは、ヤリマンに対する嫌悪を捨ててしまったのである。
「異性や恋愛について悟ったかのような投稿」は、なんだこれ!程度で済むが、それがヤリマン宣言と同化した「ヤリマン悟り」はもはや笑えるレベルではない。男女問わずドン引きの嵐、もうまともな貞操観念にかすりもしない、ヤリマンの高みへとたどり着いたヤリマン教の経典である。(一応言っておくが、ドン引きされるのは自由だし、常人がたどり着けないヤバ貞操観念を持つのも自由である。ただ、投稿によってより一層まわりと関わりづらくなるのは確かである。)
こうなってしまったが最後、ヤリマンをやめることは難しくなる。常に男を見下しつつも、その見下している存在によってのみ自分を保てる状態になる。
ちなみにこれまで言ってきたヤリマンは、10代後半から20代後半までのヤリマンである。
ヤリマンには年齢的な限界がある。20代や30代で髄まで染みたヤリマンだった人は、その後年老いて性に頼れなくなったとき、どういった生き方をするのだろうか。若い子に強くあたるおばさん みたいな存在は、もしかすると元ヤリマンなのかもしれない。
さいごに
冒頭でも述べた通り、ヤリマンを批判するつもりは全くない。そもそもヤリマンに対してそこまで何かを感じない。ただ、身近にた女性がヤリマンになっていたので、自分なりにまとめただけである。
