若いうちから世の中の理不尽に対して、強引に立ち向かっていくのは,、止めた方が良いと思います。


自分自身の一生(何歳まで生きていくのか)を考慮し、生活設計を行い、基礎体力をつけることを優先すべきだと考えるからです。


世の中のことを知れば知るほど、その矛盾と理不尽さに気付き、正義感の強い方であればあるほど、なにか行動を起こしたくなります。


その気持ちは大切にしないといけないとは思いますが、やはり、「人生はマラソン」だと、多くの先人が言っている通りです。


100メートルの徒競走をしているかのように、スタートダッシュよく全力でゴールに向かっていくには、すこしばかり、人生というものの距離は長すぎます。


軽いジョギングからはじめ、徐々に距離を伸ばしていくのが実践的だと思います。


とはいっても、年をとっていくにつれ、エネルギーが減っていくのも事実です。


このあたりのバランスが難しいと思いますが、理想的には、早く生活の基盤を整えて、知識を蓄えて、そして、行動に移したいものです。


行動に移さないと、知識から智慧への昇華はかなり困難だと思います。



さて、「矛盾と理不尽な世界」を語るとき、やはり「憲法前文」に触れないわけにはいかないでしょう。


我が国がかかえている様々な問題(国家レベル)の多くは、「憲法前文」に、その素因がある、というとかなりオーバーな表現でしょうが、この「憲法前文」をよく理解し、国民的議論にまで持っていけると、かなり問題解決に近づけると思います。


日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、

わかりにくい文章ですが、人間相互の関係を支配するは良いとして、崇高な理想を深く自覚する、


ここで、意見が分かれます。


理想とするものが主義主張により違ってくるからです。


たとえば、


(いままで何度も述べていますが、)人間は神仏の子であると主張する人々は、自由を優先します。


人間は神仏の子なので、少しばかり間違った行動をすることはあるが、いずれは神仏の子としての自分に気付き、修正が入る、と考えます。


かたや、人間は機械の部品であると主張する人々は、そのようには考えません。


考え方の違う人々に対しては、自由を許しません。


束縛し、思想を強制し、従わない人々に対しては、弾圧に入ります。


かれらが実権を握ると、必ずそのようになります。


だから、この崇高な理想の部分を、人間は神仏の子であることを根拠とする崇高な理想、と、加筆すれば、はっきりとすると思います。


・日本国民は、恒久の平和を念願する。

・人間は神仏の子であることを根拠とする崇高な理想を深く自覚する。


これでかなり分かりやすくなると思います。