ご冥福を…なんてまだ言えない。 | ZAN

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鬱病、パニック障害、PTSD、etc…病気の見本市ながら能天気な性格故全く気付かれてない人が書くかなりヲタクに偏った日常の戯言⊂(^-^)⊃



先程、佐久間さんの息子さんがツイッターで訃報を知らせて下さった。


スキルス胃癌の進行の速さは知ってる。


けど、発表されたのが8月。もう長くはないんだって思ったけど、あまりにも早過ぎて頭がついていかないし、その事実を受け入れられなくて涙も出ない。


見付かってから半月経たずに亡くなる人も居る。


けど、京都まで講義に出たり、精力的な活動をしてくれていたからあと2~3年いけるんじゃない?って思わされてた。


…大半の方が、一年どころか半年で亡くなるのに。


長くない事が分かれば、やりたい事やると思う。私なら。


佐久間さんは最後まで音楽に情熱を注ぎ続けた。


それだけ、本当に音楽が大好きな人だった、だからこそ亡くなる最後の最後まで音楽を伝え続けた。


初詣の画像見て、悲しくなった。


痩せ細って、私の知っている佐久間さんじゃなかった。


『最後の初詣』そんな後ろ向きな言葉、佐久間さんには似合わないって思ってたけど…知ってたんだね、もう限界だって。


家族で密葬なんて、最後まで謙虚な姿…。


私たちファンに、お礼すら言わせてくれないの?



小学生の頃初めてカラオケで歌ったのはBOOWYだった。

英語が読めない私は、兄者に頼んでカタカナでカナふって貰ったんだ。歌いたかったから。


BOOWY、凄くカッコイイと思ったし、佐久間さんが手塩にかけて育てたGLAYでは全国飛び回ってLiveに行ったりした。


そこでね、一生ものの友達も与えて貰ったんだよ。


悲しい恋もあったけど、夢のような一時を過ごせたのは佐久間さんの御蔭。


高校生の頃、佐久間サミットで初めて実物の佐久間さんを見られた時、神様を前にした感動と好きな人の親御さんに逢った感覚で凄く緊張したのを覚えてる。


学校終わってから速攻で先輩と電車に飛び乗って向かったパワステ。


道が分からなくて新宿の街を走り回ったな…。


建物見付けても入口が分からず先輩とわたわたして。


でも、あの日のLive、昨日のように鮮明に覚えてる。


物凄く楽しかったから。


四人囃子の時、後ろからずっと佐久間さんを眺めてた。


この人が居たから、私はGLAYに出逢う事が出来た。ベースのプレイにプライドを抱けた。


何時か、自分のバンドもプロデュースして貰えたら、それ以上に幸せな事はないな、なんて思いながら。


今でも、車の中ではGLAYを聞いてる。


ずっとBEAT Out!ばっかだけど。


一番最初ってModemだったっけ。どんな時でも聞くとテンション上がる大好きな歌。


LiveでModemのイントロ流れると大騒ぎしたし同時にあーもう今日のLive終わる…って感覚から〆として首もげる程大暴れしてた(笑)


ベーシストとしても、一番影響を受けた方と言っても過言ではない。


最初は、松井さんのベースが大好きだった。


けど、実は松井さんに影響を与えたのが佐久間さんだと知り、松井さんを神と崇めてた自分にとって『神様には更に神様が居た』って驚いたし、最初松井さんが影響受けたとしたら洋楽の知らないアーティストだろうと思ってたのに、日本人にこんな神プレイヤーが居た事にも物凄く衝撃を受けた。


私の音楽人生、ずっと陰には佐久間さんが必ず居た。


プレイヤーとしても、ファンとしても。


私は本当に良い時代に生まれる事が出来たんだなって思ってる。


丁度青春時代が音楽の全盛期だったから。


けど、その全盛期の時代を作ってくれたのも、佐久間さんなんだよ。


若くして子供産んで音楽の生の世界からは離れざるを得なくなったけど、後悔なんて微塵もない。


それくらい、濃密な時間を過ごせたから。


一番良い時代をリアルタイムで堪能出来た私は本当に幸せなんだと思う。



…あー。伝えたい言葉も思いもあり過ぎて此処まで書いてもまだ前菜程度。


でも、一番伝えたいのはお疲れ様とかそんなんじゃなく、土下座をしながらの『有難う御座いました!』って言葉。


私の一度しかない人生に、素敵な贈り物を一杯してくれて有難う。


一生物の友達と出逢わせてくれて有難う。


夢のような素敵な恋を与えてくれて有難う。


幸せで涙が出るくらいの時間をくれて有難う。




全速力で駆け抜けた61年間。


きっと、まだまだやりたい事、伝えたい思いがあって、一番無念なのは佐久間さん自身だと思う。


けど、きっと佐久間さんの意思を受け継いでくれる人は現れると信じてる。


その後継者が明確に活躍するまで心配だと思うけど、先ずはゆっくりしてください。


全速力以上のスピードで200年分くらい生きた仕事の数々を熟してきたんだから。


今はまだ気持ちの整理がついてないから上手く言えないし纏まってないけど、今この瞬間の言葉を此処に残します。


だから受け入れるまで、さよならの言葉はお預けで。








あの日のチケットとドリンクコイン。


もう感動と緊張でドリンクの事なんかすっかり忘れて『ドリンク代損した!』なんて笑ってたけど、何にも代えがたい宝物になった。


ドリンク忘れた自分GJ!