きょうは少し、難しいかもしれない記事。

 

 

真の道。

 

 

幽と顕

 

 

幽  見えない部分

顕  見える部分

 

 

人間の進化には幽の領域と顕の領域の両方を携えて可能になる。

 

 

無意識と意識

 

広大な無意識の部分と微々たる意識の部分

 

私たちは、微々たる方の力を駆使して生活をしている状態ですよね。

 

こうしたら、こうなる。 根性!努力!やぁ~~~

 

この状態だと、自分で道を狭めている状態になってしまいます。

 

この道しかないかのように。

 

これでも、もちろんオッケー!

 

でも、それが叶わなかった時、ポキッガーンって、折れてしまったり、トラウマなんて言葉もありますのでトラウマ認定してしまったり…

 

それが少々続くと、もうだめだ~~~~って、今度は自分で自分をいじめだしたり…

 

狭い領域で生きていると、こんな感じになってしまうのもしようがないですよね。プンプン 

 

 

でも、残りの広大な領域の部分、忘れていませんか?

 

そのパワー使うことしないで一生を終えてしまうのでしょうか? もったいない えーん

 

 

先ほどの狭い範囲は 顕 の領域

 

 

では、広大な範囲の 幽 の領域も必ずある。  えっ、どこに?

 

 

幽 なんだから見えないに決まってるじゃん。

 

 

でも、顕 があるんだから必ず 幽 がある。

 

 

身近なところの 幽 の例を挙げれば

 

無意識なんていうのはすごいパワーですよ。

 

今日は、○○にいこう!って設定するだけで、ちゃんとそこまで体が連れて行ってくれます。

 

この、無意識パワーを上手につかう方法もあります。

 

今回は、身近な例なので割愛して… てへぺろ

 

 

幽 のもう少し広大な部分についてみていきます。

 

 

これは、私の大好きな津島神社の中の境内にもありますが、柏樹社 にヒントがあります。

 

この、柏樹社については過去記事をあげておきますので、読んでみてください。

 

大きな 幽 の部分とは、ご先祖様とのご縁をしっかり強くして、神様とのご縁をつないでいただくこと。

 

 

神様にも応援していただこう。 | 力を抜いて運のいい子が育っちゃうハッピーなブログ (ameblo.jp)

 

 

供養 ともに養いあうこと。

 

私たちは 顕(あらわれの状態)ですが、 幽 (見えないけれどある状態)が共にある状態で、今にいる。

 

例えば、もし、朝にご仏前に炊き立てのごはんをお供えすると、幽 の存在の方は あたたかい湯気を。

 

顕 の存在のわたしたちは、あたたかいごはんを。

 

きれいなお花をお供えすれば、幽 の存在はお花の香りを、 顕 の私たちは目できれいなお花の姿を。

 

共に、コミュニケーションできるのです。

 

そして、わたしたちはその 幽 の存在のすべての DNA をいただいて今に存在している。

 

わたしたちは、そんなに弱っちぃ存在じゃないんだと気づきましょう。

 

幽 の存在はいつもそばで応援しているのです。

 

 

もし、自分が 幽 の存在だとしたら、同じことしませんか?

おいっ! 大丈夫だよ~~って。

そっちやめて、こっちの大学のほうがいいよ~~~なんて…ガーン

 

 

そして、幽 の存在との結びが強くなると、神様との結びが起きてきて、どんどん、手放しで自分を生きることができてくるのです。

 

 

その教えは、日本の叡智の中にちゃんとあります。

 

 

昨今、いろんな情報が錯そうしていて、不安になることも多いと思います。

 

でも、真の道がいくつもあってはおかしいのです。

 

ですが、真の道は人それぞれなので、その人が思うものが真の道でいいと思うのですけどね…

 

神と人間が一体になる時代がきました。

 

 

何か、今までうまくいっていたことが、いかなくなってきたぞっ。

 

とか、なんか、道に迷いそうになったり、不安や恐怖が押し寄せてきたり、自分がグラグラしたときは、

 

自分を信じて、ゆるめて、ゆるめて、行ってくださいね。

 

 

自分が見ている世界はほんの一部。

 

一喜一憂することないですからね。照れ