○2023年9月12日に、中国江蘇省蘇州の胥門を訪れた。当古代文化研究所の所期の目的は、司馬遷の「史記」列伝、『伍子胥列伝第六』にある、伍子胥の遺言、

　　必樹吾墓上以梓。令可以爲器。

　　而抉吾眼。懸呉東門之上。以観越寇之入滅呉也。

の記事を確認したいが為であった。

○どう考えても、上記の記録の「東門」が気になって仕方が無い。それなら、出掛けて行って、確認するに如くは無い。それで、遥々、日本から蘇州までやって来たわけである。

○結論から言うと、やはり、「東門」は誤りと言うしかない。蘇州では、紀元前五世紀当時、「東門」は用をなしていなかったことが確認された。「東門」の向こうは、茫洋たる湿地帯が広がっていたからである。もちろん、上海は、まさしく、「海の上」だった。

○では、伍子胥が眼を抉って懸けさせたのは、胥門かと言うと、どうも、そうでもないらしい。状況から言って、蟠門か蛇門がそれに相当することが判った。ただ、それを突き詰めるには、時間が足りなかった。再度、蘇州を訪れ、確認するしかない。

○もともと、胥門の先には、姑蘇台が存在し、胥門は姑蘇門と呼ばれたらしい。しかし、蘇州で、人気があるのは、何と言っても、伍子胥である。それで胥門と呼ばれるようになったらしい。胥門近くに伍子胥の住まいがあったとも。

○どれもこれも、俗説に過ぎない。何しろ、話は紀元前五世紀のことである。誰も覚えているはずもない。その胥門を訪れ、伍子胥を偲び、ブログ『張詠：伍員廟』、『高啓：弔伍子胥（謁伍相祠）』、『蕭繹：祀伍相廟』、『白居易：見殷堯藩侍御憶江南詩三十首詩中多敘蘇杭勝事余嘗典二郡因繼和之』、『楊萬里：泊船百花洲登姑蘇台・其一』、『楊萬里：泊船百花洲登姑蘇台・其二』と訳して来た。

○もう十分かと思うのだが、李白に「蘇台覽古」と言う作品がある。これを逃すこともできない。それで、今回は『李白：蘇台覽古』詩を案内したい。

　　【原文】

　　　　　蘇台覽古

　　　　　　　李白
　　　　舊苑荒臺楊柳新
　　　　菱歌淸唱不勝春
　　　　只今惟有西江月
　　　　曾照呉王宮裏人

　　【書き下し文】

　　　　　蘇台に古へを覽る

　　　　　　　李白
　　　　舊苑は荒臺なるも、楊柳新たなり、
　　　　菱歌淸唱、春に勝へず。
　　　　只今、惟だ有り、西江の月、
　　　　曾て照らす、呉王宮裏の人を。

　　【我が儘勝手な私訳】

　　　　呉王夫差の嘗ての宮殿、姑蘇台を朝早く訪れたら、何もかもが荒れ果て、

　　　　　　そこには今、ちょうど春が訪れ、楊柳の新芽が眩しい。

　　　　見下ろすと、折りしも、菱摘みの女性たちが小舟に乗って訪れ、

　　　　　　声を揃えて菱摘み歌を歌うその声を聞くと、春の風情に耐えきれない。

　　　　今現在、まだ太陽が落ちず、明るい時間帯だと言うのに、

　　　　　　姑蘇台の東からは、もう大きな月が昇ろうとしている、

　　　　あの月こそが、この姑蘇台にあった呉王夫差の宮殿の、

　　　　　　中に居たと言う美女、西施を照らしていた月なのだろうか。

○さすが、李白である。ものが違う。爛漫とした春の風景の中で無くては、この詩は作れない。それも朝晩と時間まで揃えている。姑蘇台の東には蘇州の町が広がり、姑蘇台の西には、太湖が広がっている。そういうものが見えない限り、この詩は鑑賞できない。

○李白は、何とも、親切丁寧な男である。「蘇台覽古」だけでは、不十分だとする。それが詩仙、李白の神髄である。併せて、次の作品まで、ものしている。

　　【原文】

　　　　　　越中覧古

　　　　　　　　李白

　　　　　謁王勾践破呉帰

　　　　　義士還家盡錦衣

　　　　　宮女如花満春殿

　　　　　只今唯有鷓鴣飛

　　【書き下し文】

　　　　　　越中に古へを覧る

　　　　　　　　李白

　　　　越王勾践、呉を破り帰る、

　　　　義士、家に還りて盡く錦衣なり。

　　　　宮女、花の如く春殿に満つ、

　　　　只今、惟だ鷓鴣の飛ぶ有り。

　　【我が儘勝手な私訳】

　　　　越王勾践が、宿敵、呉王夫差を破り、呉国を滅ぼし、

　　　　　　意気揚々と祖国、越中会稽まで、帰ってきた。凱旋である。

　　　　勇猛な越国の義士たちは、誰もが皆英雄であり、

　　　　　　正々堂々、故郷に錦を飾ったことになる。

　　　　越国の都、会稽では、凱旋した越王勾践を、

　　　　　　煌びやかに着飾った宮廷美女が挙って出迎えた、

　　　　その越国の都、会稽も、今では寂れ、荒れ果てて、

　　　　　　ただ、鷓鴣が「行不得也哥哥」と鳴いてるのが聞こえるのみである。

○さすが、李白である。詩仙、李白の真骨頂が遺憾無く発揮されている。湿地帯の遠くから、姿も見えない鷓鴣の、「行不得也哥哥（シンプトオイエグーグー）」と言う鳴き声が聞こえて来る。この寂寥感は、何とも凄まじい。

○実は、日本でも、この寂寥感を見事に表現した、歌人が居る。それが藤原俊成である。俊成の面歌が次の和歌だと、本人が自白していることを知る人は、少ない。

　　夕去れば野辺の秋風身に染みて鶉鳴くなり深草の里

○当古代文化研究所は、これまで、四回、会稽を訪問している。越国を知るには、会稽を訪れるしかないのである。会稽には鷓鴣がよく似合う。日本では、深草の里で、鶉が「チッカッケー」と鳴くのに、相応しい。

○もっとも、そういうことは常人には、到底、理解されないことではあるが。

李白：蘇台覧古