鹿ケ原のミヤマキリシマ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○今日、2024年5月15日に、高千穂河原から「鹿ケ原」まで、ミヤマキリシマを見に出掛けてきた。天気も良くて、時期的にも、霧島山のミヤマキリシマは、今が盛りなのではないか。圧倒的な美しさであった。

○これまで、ブログ『高千穂河原のミヤマキリシマ』、『鹿ケ原と高千穂峰』と続けて案内しているが、まるで物足りない。それで今回は『鹿ケ原のミヤマキリシマ』と題して、鹿ケ原のミヤマキリシマの美しさを案内したい。

○とにかく、美しい。それに豪華である。加えて、気品がある。それが鹿ケ原のミヤマキリシマである。そういう花が、これでもかと言うくらい、咲き誇っている。それが鹿ケ原のミヤマキリシマである。

○我が家から高千穂河原までが、およそ35㎞。それから約1㎞歩いたところが鹿ケ原になる。まさに、ここは陶淵明が記した「桃花源記」が案内する桃源郷なのである。

      桃花源記

   晉太元中、武陵人、捕魚為業。緣溪行、忘路之遠近。忽逢桃花林、

  夾岸数百步、中無雜樹、芳草鮮美、落英繽紛。漁人甚異之、復前行、

  欲窮其林。林尽水源、便得一山。

   山有小口、髣髴若有光。便捨船、従口入。初極狹、纔通人。復行

  数十步、豁然開朗。土地平曠、屋舍儼然。有良田、美池、桑竹之属。

  阡陌交通、鷄犬相聞。其中往来種作男女衣著、悉如外人。黃髮垂髫、

  並怡然自樂。

○ここは、決して、

  土地平曠、屋舍儼然。有良田、美池、桑竹之属。

  阡陌交通、鷄犬相聞。其中往来種作男女衣著、悉如外人。

  黃髮垂髫、並怡然自樂。

では無いから、この先を進めば、おそらく、桃源郷に達するに違いない。そういう美しさが『鹿ケ原のミヤマキリシマ』である。

○当古代文化研究所は、もちろん、桃源郷に興味関心はあるが、行きたいわけではない。そのことは、道士漱石が「草枕」で、次のように看破している。

   山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。

  意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

   住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくい

  と悟った時、詩が生れて、画が出来る。

   人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちら

  するただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はある

  まい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みに

  くかろう。

   越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間

  の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに

  画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにする

  が故に尊い。

○しかし、漱石が「草枕」で言うように、ことさら芸術などに頼る必要は無い。ホトトギスやコジュケイが鳴き騒ぐ季節に、霧島山を訪れ、ミヤマキリシマを見れば済むことである。この季節、霧島山では「一筆啓上仕り候」 とホオジロまで鳴いていた。まさに、ここは極楽浄土なのである。帰りに、西諸県郡高原町の極楽温泉に浸かって帰った。