「寧波・杭州・蘇州・台北旅」を振り返って:杭州篇 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2023年9月6日から12日まで、「寧波・杭州・蘇州・台北旅」と題して、寧波・杭州・蘇州・台北を旅して来た。それぞれに思い入れがあって臨んだ旅だった。今回は、それを振り返って、前回の寧波萹に引き続き、「杭州篇」と題したい。

○寧波同様、杭州もまた、日本にとっては忘れることのできない町である。杭州の町に日本人が大挙して押し寄せたのは、南宋(1127~1279)の時代になる。当時、日本では鎌倉時代となり、禅宗が全盛期を迎える。それで多くの禅僧が中国を目指した。

○もっとも、禅宗の成立は、極めて古い。開祖の菩提達摩は五世紀から六世紀にかけての人物とされる。日本へ招来された曹洞宗の開祖、洞山良价(807~869)や、臨済宗の開祖、臨済義玄(?~867)が生きた時代には、すでに、中国各地に広く禅宗が伝搬していた。

○日本天台宗の開祖、最澄(766~822)や空海(774~835)が中国へ渡ったのは、延暦23年(803年)のこととされる。その時代、すでに、禅宗は広く中国では信仰されていた。しかし、その中で、最澄が選んだのは天台宗であり、空海が選んだのは密教の真言宗だった。

○それは当時の日本人に、禅宗は受け入れ難い仏教だったのではないかと思われてならない。時代の最先端を生きる最澄や空海にしたところで、そうだった。それは彼らが受容して来た仏教が反映された結果なのではないか。

○最澄は近江国の人だし、空海は讃岐国の人である。すでにそういう国々で仏教を学んで、選ばれて、中国へ渡っている。したがって、自由に宗教が選べる立場には、最澄も空海も無かったことを見逃してはなるまい。結果、最澄は天台宗を、空海は密教の真言宗を選んだ。

○日本へ禅宗を招来したのが、栄西(1141~1215)であり、道元(1200~1253)であることは、極めて興味深い。つまり、やっと、日本でも禅宗を受容できる時代が訪れたことを意味する。仏教にもいろいろな側面があることを忘れてはなるまい。

○南宋(1127~1279)の時代、杭州は臨安と言って、南宋の都だった。この時代に、禅宗は全盛期を迎える。南宋の時代はわずか150年ほどだが、禅宗は大いに栄えた。ちょうど、蘇州や杭州が、「上有天堂、下有苏杭。」と称賛された時代の話である。

○それを象徴する言葉が五山である。中国五山は、次のようになる。

    班位  位 次   寺 名   寺号・具名       位置 状態
    五山  第1位    径山寺   径山興聖万寿禅寺    杭州余杭 現存
    五山  第2位    霊隠寺   北山景徳霊隠禅寺    杭州 現存
    五山  第3位    天童寺   太白山天童景徳禅寺   寧波 現存
    五山  第4位    浄慈寺   南山浄慈報恩光孝禅寺  杭州 現存
    五山  第5位    阿育王寺  阿育王山広利禅寺    寧波 現存

○つまり、中国五山のうち、杭州の山奥に径山寺が存在し、西湖の畔に霊隠寺、浄慈寺が存在し、寧波の郊外に、天童寺と阿育王寺が存在する。もちろん、当古代文化研究所では、これら五山の全てに参詣済みである。

○また、当古代文化研究所では、以前、杭州を案内するのに、テーマ「白居易の愛した佛都・杭州」と題している。それ程、杭州は仏教に満ち満ちている。当古代文化研究所が杭州に執着する理由も、実はそこにある。

○杭州は、まさに、物見遊山するところなのである。楊万里が、

  畢竟西湖六月中  畢竟、西湖は六月中なり。

  風光不與四時同  風光は四時と同じからず。

と詠じるのは伊達ではない。それは、まさしく、

  接天蓮葉無窮碧  天に接して、蓮葉は碧に窮まる無く、

  映日荷花別樣紅  日に映じて、荷花は別樣、紅なり。

なのである。もちろん、蓮の花は仏様の花である。西湖とは、そういう湖なのである。地上の天国、蘇州や杭州を訪れないわけにはいかない。

○加えて、西湖は西施の故事でも知られる。今回の旅行では、『錢塘蘇小小之墓』と言う、美人の墓も見付けた。

  ・テーマ「寧波・杭州・蘇州・台北旅」:ブログ『錢塘蘇小小之墓』

  錢塘蘇小小之墓 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○蘇小小が有名なのは、彼女の次の歌に拠る。

  ・テーマ「寧波・杭州・蘇州・台北旅」:ブログ『銭塘蘇小歌』

  銭塘蘇小歌  | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○またそれを賛美する李賀の『蘇小小墓』も、見逃せない。

  ・テーマ「寧波・杭州・蘇州・台北旅」:ブログ『李賀:蘇小小墓』

  李賀:蘇小小墓 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○これが杭州であり、西湖である。まさに「上有天堂、下有苏杭。」と呼ぶにふさわしいところが蘇州であり、杭州なのである。それを確かめる度が、今回の「寧波・杭州・蘇州・台北旅」であったことは、言うまでもない。