○今年正月四日に、試筆として、寒山詩を書いた。毎年、正月初めに試筆を書いている。例年、その年に相応しい題材を探して書くことにしている。現在、古代文化研究所では、第二室で、寒山詩を訳し続けている。最初に訳したのは、2021年4月27日の、次のブログになる。
・テーマ「寒山詩」:ブログ『寒山詩:凡讀我詩者(001)』
寒山詩:凡讀我詩者(001) | 古代文化研究所:第2室 (ameblo.jp)
○現在まで、264首の詩を訳している。一応、寒山詩は213首だとされるから、あと50首ほどで終えることとなる。今現在、試筆を書くとすれば、当然、寒山詩以外には考えられない。それで、寒山詩を書写したのが、次のブログになる。
・テーマ「無題」:ブログ『令和四年試筆』
○その中で、『荘子説送終(008)』詩の一節を大書した。一つは首聯で、
荘子説送終 荘子は送終を説くに
天地爲棺槨 天地は棺槨を爲すとす。
であり、もう一つは頸聯で、
死将餧青蠅 死は将に青蠅を餧はんとし、
吊不勞白鶴 吊ひは白鶴を勞さず。
と言う一節である。
○『荘子説送終(008)』詩は、私の好きな寒山詩の一つである。特に、この首聯と頸聯は秀逸である。ちなみに、『荘子説送終(008)』詩は、次のブログで訳している。
・テーマ「寒山詩」:ブログ『荘子説送終(008)』
寒山詩:荘子説送終(008) | 古代文化研究所:第2室 (ameblo.jp)
○中国の道観は、好きで、よく訪れている。と言うか、道観は道教のお寺だから、よくお参りしていると言うべきなのだろう。当古代文化研究所では、すでに中国の五岳へも、全て参詣済みである。老子の故地も参詣済みだし、荘子の故郷とされるところは三か所もあって、それらにも全てお参りしている。
○日本で、日本武尊が亡くなって、白鳥となって飛んで行ったと言う話を聞くと、なるほど、日本武尊ほどの人物なら、そういう伝説が生まれると勝手に思い込んでしまう。しかし、道教を知っていたら、それは日本武尊は仙人になった言うことの証なのであって、特別不思議なことではない。
○つまり、日本武尊伝説を作った人は、道教に相当詳しかった人だと言うことになる。寒山詩は、そういう意味で勉強になる。日本の文学や歴史を考える上で、中国文化の影響は凄まじいものがある。そういうことを知らないと、とんでもない過ちを犯してしまうことになる。
○日本武尊の白鳥伝説は、たぶん、そういうことである。そういう教養を持った人がそういう伝説を作ったものと思われる。結構な中国通である。
○ただ、このことは道教に限定されることでは無いことに、十分留意する必要がある。当時の仏教は神仏混淆の宗教である。それは日本の神道と仏教では無い。中国から仏教が伝来して来た時、すでに仏教は神仏混淆の宗教だったのである。なかなかそういう感覚が日本人には無い。