淀川小屋へ下山 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2021年11月3日午後2時に、屋久島宮之浦岳(1936m)山頂に立つことができた。普通には、午後1時までには下山することを勧められている山である。この日、10名ほどが宮之浦岳山頂を目指して登っていたが、眺望を得られたのは、私とこの後に淀川登山口から登って来た二人組だけではなかったか。

○すでに、下山すべき時間を遥かに過ぎている。今日は淀川小屋に泊まる予定である。宮之浦岳山頂にある案内標識には、

  ・縄文杉:5,4㎞   ・新高塚小屋:3,5㎞

  ・淀川小屋:6,5㎞   ・花之江河:3,8㎞

とあった。急いで下山しないと暗くなってしまう。

○そうは思うものの、それまで、ガスで何も見えなかったのに、突然、視界が開けてきて、絶景が現れた。これでは眺めないほうがおかしい。たっぷりと30分は宮之浦岳山頂での絶景を楽しんだ。したがって、下山開始は午後2時30分過ぎだった。

○宮之浦岳山頂を下ると、すぐに栗生岳(1867m)山頂になる。もっとも、栗生岳は宮之浦岳の一部のような存在でしかない。この辺りの屋久島奥岳の景色は、何とも見事そのものである。お陰で、足が全然進まない。昨日も暗くなり、往生したので、今日は暗くなってからの山行を避けたい。そう思っていたのだが、到底、そんな感じでは無かった。

○宮之浦岳から栗生岳を経て、下ったところに翁岳(1860m)がある。その翁岳の手前に如竹先生岩が存在する。もっとも、誰もそういうふうに呼んでいるわけではない。当古代文化研究所が勝手に命名して、そういうふうに呼んでいるだけのことである。如竹先生は屋久島が生んだ偉人である。それで、この岩に如竹先生岩と命名した。その経緯は、次のブログに書いている。

  ・テーマ「山の博物誌」:ブログ『屋久島の如竹先生』

  屋久島の如竹先生 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○現在、なかなか如竹先生を顕彰してくれる人が少ないのが惜しまれる。泊如竹先生に、「愛甲廣隆君惜別詩」一編がある。この詩を読んでいただければ、如竹先生の凄さが判ると言うものである。

  ・テーマ「鹿児島を彩る人々」:ブログ『如竹先生の詩 その三』

  如竹先生の詩 その三 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○13年振りに如竹先生岩を拝むことができて、嬉しかった。こういうことをしているうちにも、どんどん時間は過ぎて行く。頑張って先を急ぐことにする。翁岳から安房岳、投石岳と山裾を巻き続けて、投石平に着いたのは、午後5時だった。もう日は完全に傾いている。ここの案内標識に、

  ・新高塚小屋:6,1㎞   ・宮之浦岳:2,6㎞

  ・淀川小屋:3,9㎞   ・花之江河:1,2㎞

とあるではないか。このままでは、間違いなく夜の山行となる。

○この後、往生しながらも、何とか淀川小屋に辿り着くことができた。淀川小屋に到着したのは午後8時を完全に回っていた。この日、山中に13時間以上居たことになる。こういう登山をしてはならないと言う典型的な例である。

○淀川小屋には10名ほどの登山客が居た。もちろん、皆さん就寝中だった。静かに中へ入って、空いていた一番奥左手に寝どころを確保することができた。淀川小屋は新高塚小屋同様、大きな山小屋で、5、60人は泊まれる。何とも苦しい山行だった。