吉野水分(よしのみくまり)神社 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○ブログ『金峰神社と何か』から『金御岳(かねのみたけ)』と続けているが、ブログの意図がなかなか見えて来ないのかも知れない。そして、『吉野水分(よしのみくまり)神社』と来れば、なおさらのことである。別に、焦らすわけでも無いのだけれども、こういうふうに並べないと、金峰神社の本質は見えて来ない。

○吉野山には、金峰神社とともに吉野水分神社が存在する。ある意味、吉野山を代表する神社が金峰神社であり吉野水分神社であるとも言えよう。ただ、その金峰神社と吉野水分神社とがどういう関係にあるのか。そのことを誰も問題にしない。と言うか、吉野山でそれを説明することは難しい。

○それは吉野山自体もそうだが、金峰神社や吉野水分神社も、実は他所から勧請されたものである。そのことを理解しない限り、吉野山や金峰神社、吉野水分神社を理解することはできない。最近、そういうことがやっと見えて来た。

○まず、吉野水分神社がどういう社であるかから見ておきたい。吉野山観光協会HPでは、吉野水分神社を、次のように案内している。

      吉野水分神社

   水を司る天之水分(あめのみくまり)大神を主神とし、"みくまりが"御子守"(みこもり)と

  なまって、俗に子守さんと呼ばれ子宝の神として信仰されています。
   社殿は豊富(臣)秀頼が再建したもので、本殿、拝殿、弊殿、楼門、回廊からなる桃山時代

  の大変美しい建築です。

  吉野水分神社|吉野山観光協会 (yoshinoyama-sakura.jp)

○別に、ウイキペディアフリー百科事典では、次のように載せる。

      吉野水分神社

   吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町子守地区(吉野山

  上千本)にある神社。別名を子守宮と称す。2004年平成16年)7月に、ユネスコ

  世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』を構成する資産の一部として登録された。

  吉野水分神社 - Wikipedia

○吉野山は、古来、桜で有名である。もっとも、吉野の桜を世に喧伝したのは、西行法師であって、それ程、古い時代のことではない。吉野は天武天皇や持統天皇から知られたところであったし、特に持統天皇は30回以上も吉野行幸を繰り返している。

○ちょうど、持統天皇と同じ時代に、吉野山には役行者小角が出て、蔵王権現を感得し、日本に修験道をもたらしたとされる。当古代文化研究所では、以前、そういう吉野山の長い歴史を追い掛けている。詳しくは、以下のブログを参照されたい。

  ・テーマ「吉野山の正体」:40個のブログ

  吉野山の正体|古代文化研究所 (ameblo.jp)

○金峰神社と吉野水分神社とがどういう関係にあるのか。そのことを吉野山で考えることは難しい。何故なら、金峰神社も吉野水分神社も、日向国から大和国へ勧請された社だからである。その一つの典型を日向国で見ることができる。それが。鹿児島県曽於市末吉二ノ方の住吉神社であり、宮崎県都城市梅北町の金御岳になる。

○つまり、鹿児島県曽於市末吉二ノ方の住吉神社から見た風景が宮崎県都城市梅北町の金御岳だと言うことである。どういうことかと言うと、鹿児島県曽於市末吉二ノ方では太陽は宮崎県都城市梅北町の金御岳から昇ると言うことである。いわゆる太陽崇拝がそこには潜んでいることが判る。

○何のことはない。金御岳(かねのみたけ)とは、そういうものだったのである。もちろん、金御岳(かねのみたけ)が金峰神社の別名であることは、ご存じの通りである。これが金峰神社と吉野水分神社との関係である。

○そんな話は聞いたことが無い。とおっしゃるかも知れない。それはその通りだろう。この事実は、当古代文化研究所の長年の研究の末に発見できたものなのだから。これまで、誰も知らなかった話である。

○それは偶然の出来事だとおっしゃるかも知れない。しかし、当古代文化研究所では、そんないい加減な研究をしているわけではない。この話にもちゃんとした裏付けがある。そうでなくては、このように人様の前で話せるわけが無い。

○それが甑島から見る日の出にある。以前、ブログ『串木野地名考』を書いて、串木野地名が甑島から眺めた日の出の風景では無いかと言う話をした。甑島里から眺めた日の出の風景は、まさに「奇し日の」の風景であった。

  ・テーマ「甑島周遊」:ブログ『串木野地名考』

  串木野地名考 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○同様に、2020年11月5日、下甑島の長浜から、日の出を拝んだことがある。この日は朝日の真っ赤な中に薩摩半島の金峰山が浮かんでいるのを望見できた。もちろん、薩摩半島の金峰山にも、金峰神社が鎮座まします。この風景もまた都城の金御岳と全く同じであることを理解した。

  ・テーマ「甑島周遊」:ブログ『甑島の日の出:11月5日』

  甑島の日の出:11月5日 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○学問で知らないことは罪である。したがって、当古代文化研究所では、このように長年掛けて、執念く吉野山を追い続けている。その結果がここに金峰神社が何者であるかとして、結実したわけである。本来、金峰神社とは、太陽崇拝なのである。太陽の昇る山が金峰神社の意であることが判る。