○大和地名が日向国のものであることは、すでに本ブログで書いている。
・テーマ「甑島周遊」:ブログ『大和地名が日向国のものであること』
大和地名が日向国のものであること | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
○したがって、ここで再度、大和地名が日向国のものであることを案内することになる。それは、甑島が「コシキジマ」ではなくて、「コシキシマ」であることを証明するためには、避けて通れない問題である。それが無い以上、枕詞「しきしまの」を問題にすることはできない。本来、枕詞「しきしまの」は大和に掛かる枕詞なのだから。
○ただ、日本の文献には、大和地名が日向国のものであると、明記されているわけではない。大和朝廷は、意図的に大和地名が日向国のものであることを隠している。それはそうだろう。何処の国であっても、自分の国が二番煎じであることを、わざわざ公表することなど、しない。
○大和地名が日向国のものだと、明記しているのが中国の正史「三国志」であることは、注目に値する。それも、それが三世紀の、同時代に記録されたものだと言うのだから、何とも貴重な史料である。
○ただ、残念なことに、中国の史書は日本人には読めない。もともと、中国の史書は中国の専門史家のみを、その読者対象としている。中国人民であってさえ、その読者対象ではない。まして、外国人である日本人など、以ての外である。
○ところが、日本人とは勝手なもので、そういうことを何も知らず、多くの日本人が「三国志」を読んだと大騒ぎしている。日本にはそういう本がごまんとある。基本、中国の史書は日本人には読めないと言うことが、まるで理解されない。
○したがって、日本人が「三国志」を読むには、中国人になって読むしかないわけである。それも中国の専門史家とならないと、「三国志」を読むことは、できない。最低でも、中国語で中国の史書が読めない以上、「三国志」は読めない。そんなことは、誰が考えても判ることである。
○ある意味、本居宣長や新井白石でも読むことのできなかったのが「三国志」である。「三国志」がそういう書物であることを、意外にも、多くの人が理解していない。そういうことを案内するのに恰好なものに、京都大学の宮崎市定の次の言葉がある。
このように『史記』においては何よりも、本文の意味の解明を先立てなければならないが、
これは古典の場合已むを得ない。古典の解釈は多かれ少なかれ謎解きであって、正に
著者との知恵比べである。そしてこの謎解きに失敗すれば、すっかり著者に馬鹿にされて
了って、本文はまっとうな意味を伝えてくれないのである。 (「宮崎市定全集5 史記」自跋)
○日本を代表するような中国歴史学者である宮崎市定であってさえも、読むことを諦めたのが「三国志」なのである。普通の日本人には「三国志」を読めないとは、そういうことである。
○その「三国志」には、三世紀当時の日本が1986字もの字数で表現されている。それが「三国志」唯一の外国伝である巻三十、魏書三十、烏丸鮮卑東夷傅の中の倭人の条だと言うことになる。日本では、それを特別に「魏志倭人伝」と呼び称している。
○漢字1986字だけなら、何とか自分にも読めるのではないか。そういう勘違いが間違いのもとである。「魏志倭人伝」1986字を理解するには、最低でも、『烏丸鮮卑東夷傅』9448字は通読しないと、意味すら判らない。
○その証拠に、「魏志倭人伝」の主題が何であるか。それすら、明確に案内するものが無い。そういう読書を誰もしていない。「魏志倭人伝」の主題は倭国三十国の案内にある。そして、それは、次のように案内されている。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
○これが中国で正史を編纂する者の実力である。これ程の才能を見せ付けられては、誰もが脱帽し、敬礼するしか無い。「魏志倭人伝」を読むと、そういうことが判る。
○当古代文化研究所では、そういうことを研究している。「魏志倭人伝」を読むと、日向国に大和地名が存在することが判る。それが「しきしまのやまと」である。したがって、枕詞「しきしまの」自体が、もともと、日向国のものなのである。万葉学者先生は、そういう肝心なことを理解できていない。
○甑島が「コシキジマ」ではなくて、「コシキシマ」であることは、そういうことを意味する。当古代文化研究所では、そのことを検証するために、何度も甑島訪問を繰り返している。なかなか面白い、大事な問題である。今後も、努力して、検証を進めたい。