○毎年、一回は開聞岳には登り、薩摩國一之宮である枚聞神社への参詣も怠らないよう、心掛けている。ブログで確認したところ、次のようであることが判った。
・2010年年1月7日
・2011年1月4日
・2012年1月20日
・2013年2月18日
・2014年2月11日
・2015年1月16日
・2016年1月9日
・2017年11月11日
・2018年11月30日
・2020年9月26日
○唯一、2019年だけ、開聞岳登山をしていないし、枚聞神社参詣も済ませていない。2019年は中国旅行が4回と忙しく、それに高隅山・大隅國名を問題にするなど、あれこれ大きなことがあって、開聞岳登山を失念したものと思われる。
○開聞岳登山は2020年9月26日に済ませたが、枚聞神社参詣は、27日に、山川からの帰り道に行った。枚聞神社境内には、「枚聞神社及び付近案内」の案内板が設置してある。
枚聞神社及び付近案内
鎮座地 鹿児島県揖宿郡開聞町十町
御祭神 枚聞神一座。神社由緒記に、大日孁貴命(天照大御神)を正祀とし他に皇祖神を
併せ祀るとある。
御沿革 御鎮座年代を詳らかにせずと雖も、社伝には遠く神代の創祀なりと云う。既でに、
貞観二年薩摩国從五位下開聞神加從四位と、三代実録に載せられているのを
始め、延喜式には、薩摩国枚聞神社とある。
古来薩摩国一の宮、南薩地方一帯の総氏神として、代々、朝廷の尊崇厚く、
度々奉幣あり。殊に藩主島津家代々の崇敬絶大にして、歴代藩主の修理、改造、
再建等十余度に及び、地方開拓の祖神として、又特に厄除、開運、交通安全、
航海安全、漁業守護神として琉球国を初め、地方民の崇敬篤に厚く、明治4年
国幣小社に列格せられた古社である。
御例祭 十月十五日
宝 物 国指定重要文化財「松梅蒔絵櫛笥」外数十点あり。
付近名勝
開聞岳 標高九百二十四米。二重式火山。
頂上に当社末社御嶽神社鎮座。
玉乃井 日本最古の井戸。龍女豊玉姫命水汲みの井戸と云う。
婿入谷 彦火火出見命と豊玉姫命のご結婚の跡と云う。
池田湖 周囲約二十キロ。九州最大の淡水湖。
○この案内板を見て、いつも不思議でならないのは、枚聞神社と開聞岳の関係である。わずかに「頂上に当社末社御嶽神社鎮座」とあるだけである。そんなはずはない。枚聞神社が鎮座ましますのは、ちょうど開聞岳を南に遥拝する位置関係にある。それで、「頂上に当社末社御嶽神社鎮座」だけと言うことはあり得ない。
○間違いなく、枚聞神社の御神体が開聞岳だと言うことである。そうでなくては、こういう位置関係はあり得ない。御祭神にしたところで同様である。枚聞神社の御祭神が「大日孁貴命(天照大御神)を正祀とし他に皇祖神」であることは無い。枚聞神社の御祭神は、あくまで枚聞神一座である。
○枚聞神社の御祭神が混迷していたことは、江戸時代の「麑藩名勝考」や「三國名勝図会」が詳細な記述を残している。それに現在、開聞岳は『かいもんだけ』と呼び称しているが、もともと開聞岳は『ひらききだけ』である。それは枚聞神社の呼称と見事に一致する。
○もっと言うと、『ひらきき』は枕詞になる。正式には、『ひらききのみみなしやま』と言う。開聞岳の正式名称は、『ひらききのみみなしやま』が正しい。もちろん、みみなしやまは大和三山の一つである。奈良県にも大和三山が存在するが、あれはレプリカであって、本物ではない。
○本物の大和三山は、次のようになる。
・うねびやま=霧島山(1700m)
・かぐやま=桜島山(1111m)
・みみなしやま=開聞岳(924m)
○日向国が日本の始まりと言うことは、そういうことである。大和三山も、当然、日向国のものである。奈良県橿原市を訪れると、大和三山のレプリカを見ることができる。なかなかよくできたレプリカだが、本物と比べると、話にならないくらい貧弱である。
○こういうことは、全て、当古代文化研究所の研究成果である。当古代文化研究所では、奈良県橿原市の大和三山にも、これまで7回登っている。なかなか日向国は面白い。