薩摩國一宮:枚聞神社 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○2018年11月30日に、開聞岳に登って来た。登山後、薩摩國一宮である枚聞神社へ参拝した。枚聞神社が開聞岳を遥拝する位置に建っていることから考えて、枚聞神社のご神体が開聞岳であることは間違いない。

○したがって、登山前に参詣するのが本当なのだろうが、時間的にそういう余裕が無いので、登山後の参詣でお許しを願うしかない。枚聞神社の境内にある案内板には、次のように載せる。
      枚聞神社及び付近案内
  鎮座地:鹿児島県揖宿郡開聞町十町
  御祭神:枚聞神一座 神社由緒記に大日孁貴命(天照大御神)を正祀とし他に皇祖神を併せ祀るとある。
  御沿革:御鎮座年代を詳らかにせずと雖も社伝には遠く神代の創祀なりと云う。既に貞観二年(860
      年)薩摩国従五位下開聞神加従四位と三代実録に載せられているのを始め延喜式には薩摩国枚
      聞神社とある。(以下略)
  御例祭:十月十五日
      付近名勝
  開聞岳:標高九百二十四米。二重式火山
      頂上に当社末社御嶽神社鎮座

○薩摩國一宮である枚聞神社が早い時期に、その御祭神を見失っていることは、寛政七年(1785年)刊行の「麑藩名勝考」で、白尾國柱が詳細に述べている通りである(「麑藩名勝考」:巻四)。上記の案内板では、枚聞神を、
  ・枚聞神一座 神社由緒記に大日孁貴命(天照大御神)を正祀とし他に皇祖神を併せ祀るとある。
とする。このうち、「枚聞神一座」は納得できるが、「神社由緒記」の内容は蛇足に過ぎない。

○その枚聞神がどういう神様であるかをこの案内板は全く案内していないのが、何とも寂しい。それもそのはずだろう。この案内板には「付近名勝」として、
  開聞岳:標高九百二十四米。二重式火山
      頂上に当社末社御嶽神社鎮座
と載せる。開聞岳が枚聞神社にとって、『末社御嶽神社』であるはずが無い。本末転倒も甚だしい。

○枚聞神社の鎮座地を考えた場合、誰がどう考えたところで、枚聞神社の御神体が開聞岳であることは間違いない。をれを『末社御嶽神社』することなど、言語道断、あり得ない話である。それこそ、枚聞神が嘆いているに相違ない。

○枚聞神社自体が、山下の里宮であるに過ぎない。それなのに、『末社御嶽神社』などと言われたら、本家本元はどうなるのだろう。開聞岳山頂に鎮座まします社は、枚聞神社の奥宮であり、本宮である。開聞岳が存在するから、枚聞神社が存在する。開聞岳が存在しなかったら枚聞神社は存在しない。

○もともと、開聞岳は「かいもんだけ」ではない。開聞岳は「ひらききのやま」が本当である。漢字を当てれば、「開聞」とか「枚聞」となる。当然、そこにいらっしゃる神様は「ひらききのかみ」である。

○「ひらききのかみ」は、陸と海との境に鎮座まします神様であった。開聞岳までが陸地であり、開聞岳から先は海である。そういう境界に鎮座まします神が「ひらききのかみ」である。

○もっとも、本当の名は、「みみなしのかみ」と申し上げる。意味は境界の神様と言う意味である。したがって、山の名も「みみなしのやま」と称する。それなら、「ひらきき」は、どうなるのか。

○「ひらきき」は、枕詞である。昔は、偉い人や物には、枕詞と言う修辞が付いた。「みみなしのかみ」にも、当然、枕詞が存在した。それで、通常、「ひらききのみみなしのかみ」と申し上げた。それが枚聞神社の「御祭神:枚聞神一座」である。

○枚聞神社の御神体が開聞岳だから、開聞岳の名も、「ひらききのみみなしのやま」と呼んでいた。時代が下ると、何でも簡略化が進み、神社は「ひらききじんじゃ」と呼ばれ、山の名も、開聞の字を音読して、「かいもんだけ」と呼ぶようになってしまった。


○「ひらききのみみなしのやま」、まあ、何とも立派な名前であることか。もともと「みみなしのやま」に、「ひらきき」と言う冠辞を付した先人の知恵に脱帽するしかない。

○枚聞神社が薩摩國の一宮であることには、大きな意味がある。つまり、開聞岳を遥拝するところに薩摩国の中心が存在したと言うことである。開聞岳に毎年登っている。そういうことを教えてくれるのが開聞岳であり、枚聞神社である。