三岳参りに於ける黒尊岳 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○「肝属町の三岳参り」に於ける黒尊岳の位置について触れておきたい。普通には、国見山から黒尊岳を経て甫与志まで至るルートが三岳参りのコースとなっている。もともと三岳参りが高屋神社の宗教行事であったことを思えば、それは当たり前なのかも知れない。

○鹿児島県肝属郡肝付町北方枦ノ木に鎮座ましますのが高屋神社である。高屋神社が齋き祀るのは彦火々出見尊である。彦火々出見尊の御陵を高屋山陵と言う。つまり、国見山が高屋山陵であり、内之浦では国見山ではなく、高屋山と呼ぶ。国見山の呼称は高山のものである。

○結果、高屋神社のご神体が高屋山陵であり、高屋山となる。肝属山地でもっとも東に位置する山である。内之浦から肝属平野に出るには、海上を通らない限り、海岸線を通る国道448号線を利用するか、この国見峠越えか、もしくは、西の姫門経由しか無かったわけである。

○もともと、内之浦は天然の良港として知られる。だから、海上を通って通交していたものと思われる。したがって、峠越えの道は、それほど利用されなかった。それに、内之浦の山々は900辰發△辰董結構高く、険しい。今でこそ、国見トンネルが完成して、非常に便利になったが、それまでは、国道448号線で海岸線を迂回する、大変な道程であった。

○肝属山地の最高峰が甫与志岳(967叩砲任△襦「肝属町の三岳参り」の最終目的がその甫与志岳(967叩砲砲△襪海箸聾世Δ泙任發覆ぁある意味、この付近で最も高く、最も崇高な山が甫与志岳(967叩砲覆里任△襦

○そういう意味では、高屋山陵である国見山や肝属山地最高峰である甫与志岳に比べて、黒尊岳の影は極めて薄い。本当は、二岳参りだったのに、数字が悪いので、黒尊岳を加入させ、三岳参りとなったと言えるのではないか。

○黒尊岳に存在するのが磐長姫祠と言うのも、そういうことを裏付けているような気がしてならない。ちなみに、肝付町のHPに載せる「三岳登山」の黒尊岳紹介には、次のようにある。
      黒尊岳(くろそんだけ 908.5m)
   文献に「国見山の南南西1里余り、ここに高さ2.5m、周囲3mほどの神石有り」とあります。旧高山
  町の郷土誌では、神社の項に「磐長姫(いわながひめ)神社」があるとされ、旧内之浦町の郷土誌で
  は、「石長比売(いわながひめ)を祭る黒園岳」の項があります。
   所在地が「高山村大字新富小字三石、地区は本城方眼」とあることから、神石のある黒尊岳のこと
  であろうと思われます。由緒に「創建不詳、人の寿命を司り、なお男女の中を守り給う」とあります。
   「寿命継ぎの神」として厚く信仰され、病気などの平癒祈願をする者が多かったそうで、祠の左右
  には感謝の石灯籠が並んでいます。
   なお、黒尊岳と甫与志岳の中間にある大岩石からはアケボノツツジの群落が見渡せ、登山者に人気
  のスポットです。
  http://kimotsuki-town.jp/3916.htm

○黒尊岳へお参りすると判るのだが、磐長姫祠は黒尊岳山頂から少し下ったところに存在する。祀るのも巨岩であって、山ではない。上記の記事に、
  ・所在地が「高山村大字新富小字三石、地区は本城方眼」
とあるように、高山の本城上の山尾根に存在する祠である。

○それに、黒尊岳は茫洋とした山であって、黒尊岳山頂(908叩砲最高点ではなく、山頂から西南へ800辰曚氷圓辰燭箸海蹐913辰悩嚢眦世箸覆辰討い襦ほとんど眺望も無いから、山としての存在感がまるで無い。