2016年の倭国 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○本ブログでは、すでに『2016年の倭国三十国』を書いている。
  ・書庫「『おしえて邪馬台国』の不思議」:ブログ『2016年の倭国三十国』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40107921.html

○だから、今更、『2016年の倭国』と言う表題を掲げる理由は何かと疑問を抱かれるに違いない。それは「三国志」の編者、陳寿が「三国志」で案内する倭国の見方に、二つがあると言うことである。よくよく「三国志」を読むと、そういうことが判る。

○ちなみに、『2016年の倭国三十国』が案内した倭国三十国の鳥瞰図を再掲しておく。
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○この倭国三十国の鳥瞰図は、朝鮮半島から眺めた倭国の様子である。陳寿の「三国志」は、それを初めて中国に紹介すると自負する。ただ、「三国志」の編者、陳寿は正直者であるから、新しい倭国の紹介の他に、従来の中国での倭国の認識の有様をも、紹介せずにはおかない。それがここで言う『2016年の倭国』の意味である。

●一つずつ順序良く、丁寧に説明していく方法もあるのだが、面倒なので、結論からさきに述べたい。『2016年の倭国』が意味するところは、次のようなことである。
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
  ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
  ・トカラ列島悪石島→トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
  ・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
  ・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
  ・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧

●もちろん、坊津が邪馬台国の主交易港であり、後世、日本三津の筆頭に数えられることは周知の通りである。なかなか日本の史家はそういう歴史の流れを汲み取ることができない。

●「三国志」魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝・『倭人の条』には、朝鮮半島の帯方郡から邪馬台国までの総距離数を、
  ・自郡至女王國萬二千餘里。
と案内している。おそらく、中国の会稽から邪馬台国までの総距離数も、
  ・萬二千餘里
程度ではないか。

●これまで、中国浙江省の会稽(現在の紹興市)には四回訪問しているし、寧波や舟山群島にも五回訪問している。全部を紹介することも出来ないので、その一部を案内するに止めたい。
  ・書庫「寧波漫歩」:65個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1204055.html?m=l&p=1
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:31個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1204492.html?m=l&p=1
  ・書庫「舜禹之都:紹興・上虞」:37個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1221324.html?m=l&p=1

●同じように、倭国側の足跡も辿っている。それは鹿児島県の十島村であり、三島村を意味する。その三島村には、これまで、
  ・2009年5月30日(土)
  ・2009年6月11日(木)
  ・2010年10月30日(土)・31日(日)
  ・2011年3月13日(日)から18日(金)
  ・2011年11月25日(金)から29日(火)
  ・2012年8月22日(水)
と六回訪問しているし、十島村には、
  ・書庫「吐火羅の旅」:19個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1185562.html?m=l&p=1
  ・書庫「吐噶喇往還」:30個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1205424.html?m=l&p=1
  ・書庫「小宝島訪問」16個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1221591.html?m=l&p=1
と3回訪問している。

◎「三国志」に、
  ・計其道里、當在會稽、東冶之東。
と言う、僅か12文字のささやかな表現がある。読むのは、
  ・其の道里を計るに、當に會稽、東冶の東に在るべし。
と読むのだろうが、その表現の真意を探ることは、意外に難しい。

◎正直に言って、
  ・計其道里、當在會稽、東冶之東。
を、いくら日本で読んだところで、常人には理解出来ない。それは、もともと「三国志」が中国の専門史家のみを読者対象としていることに起因する。もともと、日本人は、「三国志」の読者対象ですら無いのである。そんな日本人がいくら日本で頑張ったところで、「三国志」は読めない。

◎何故なら、「三国志」が日本人を読者対象としていないからである。中国の、それも専門史家のみが読者対象なのであるから、普通の中国人にも、当然、「三国志」は読めない。それが当たり前なのである。

◎ところが、日本では「魏志倭人伝」を読んだとおっしゃる日本人が山ほど居る。もともと日本人は読者対象ですら無いのに、日本人に読めるはずも無い「三国志」がどうして、そんなに簡単に読めるのだろうか。不思議でならない。

◎加えて、「魏志倭人伝」を読んだとおっしゃる方々(日本人)が中国の史書の専門家でもないし、中国を何度も訪問したこともないし、中国語すら満足に理解出来ない方々だと言うのだから、驚き、呆れるしかない。そういう人に「三国志」は読めない。

◎これまで、「魏志倭人伝」を読んだとおっしゃる諸本をたくさん読んでいる。しかし、「魏志倭人伝」が読めたと言える本は皆無である。もともと、「三国志」がそんなに簡単に日本人に読めるはずが無いのである。

◎どれほど、難しいかについては、中国史の大家である宮崎市定の言葉を借りるのが便利である。
   このように『史記』においては何よりも、本文の意味の解明を先立てなければならないが、これは
  古典の場合已むを得ない。古典の解釈は多かれ少なかれ謎解きであって、正に著者との知恵比べであ
  る。そしてこの謎解きに失敗すれば、すっかり著者に馬鹿にされて了って、本文はまっとうな意味を
  伝えてくれないのである。             (「宮崎市定全集5 史記」自跋)

◎中国史が専門の史家である宮崎市定ですら、扱うことを躊躇したのが「三国志」だと言われる。それが素人に読めると考える方がどうかしている。もともと「三国志」は、そういう本なのである。

◎念の為、補足説明すると、考古学者先生も、「三国志」に関しては素人と言うしかない。宮崎市定を越えるような読解力が考古学者先生にあるのなら、話は別だが。そういう考古学者先生が読んだと言う古代史が堂々と世間では通用している。そんな非学問的な話は無い。現代の日本史はそういう本ばかりであるのに驚く。と言うか、呆れるしかない。

◎「三国志」を読みたい、あるいは理解したいと思うのであれば、専門の史家の本を読むしかない。ところが、非常に残念なことながら、日本では「三国志」を満足に読んでくれる専門史家が居ないのである。そのこと自体に驚くが、それが現実である。

◎仕方が無いから、自分で読むしかない。そう思って「三国志」を読んできた。「三国志」の編者、陳寿は、大変な史家である。それは「三国志」を読むと判る。三世紀の倭国を、
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国
と案内し、
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
  ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
  ・トカラ列島悪石島→トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
  ・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
  ・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
  ・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧
と紹介する実力は、尋常では無い。

◎すでに、邪馬台国は完全発見されている。そういう時代に、邪馬台国畿内説や北九州説を唱えたところで、それはまるで根拠の無い話に過ぎない。「三国志」「古事記」「日本書紀」「万葉集」の全てが邪馬台国は薩摩半島だと案内するのだから。

◎今年、2016年が邪馬台国元年となることを期待して、いろいろと書いている。真実が認められるには相応の時間を要することは理解しているが、早くそうなることを期待したい。