鎮江金山寺 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○鎮江金山寺の創建は、晋の明帝(323~325)の時だと言うから、相当古い。南京の鶏鳴寺の創建は東晋の永康元年(300年)だし、揚州の大明寺は南朝宋の孝武帝の大明年間(457—464年)である。そういう古寺に匹敵するのが鎮江金山寺である。参考までに、南京の鶏鳴寺と揚州の大明寺参詣のブログを掲載しておく。
  ・書庫「六朝古都:南京」:ブログ『南京:鶏鳴寺』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38689402.html
  ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『揚州大明寺』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38758869.html

○本ブログでは、既に鎮江金山寺案内を済ませている。だから、金山寺については、そちらを参照されたい。
  ・書庫「鎮江三山」:ブログ『鎮江金山寺案内』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39156772.html

○面白いことに、「三国志」にはそういう仏事の記録がほとんど無い。もっとも、「三国志」は隐逸伝すら載せていない。このことは、注目に値する。このことについては、以下のブログで検証済みである。
  ・書庫「廬山・九江」:ブログ『隱逸傳』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38293331.html

○鎮江金山寺がどういう経緯で、誰に拠って創建されたかが気になるところであるが、現段階では、まだそういうところまで検証出来ていない。これから時間を掛けて研究するしかない。

○鎮江金山寺へ参拝したのは、2014年6月22日のことであった。寺の前の蓮花が美しく、それにつられて、しばらく蓮花を愛でていたら、寺とは反対方向に歩く結果となってしまった。折り返して、やっと鎮江金山寺の山門前まで行く。

○鎮江金山寺の山門前に碑坊が存在し、『江天禅寺』の扁額が掲げられていた。山門には、『東晋古刹』の大文字も見える。門の両脇には、左手に『金山江天禅寺』、右手に『金山寺』とあった。

○山門をくぐると、大雄宝殿である。ここでは山門がそのまま天王殿となっている。大雄宝殿の裏側はまるで迷路のようになっていて、観音閣や妙高台、慈寿塔、七峰亭、芙蓉楼などが存在する。それをずっと登り続けると、『江天一覧』の石碑が建つ、最上段まで達することが出来る。その間、何処をどう歩いているかが全く判らない。人の波に従って、上へ上へと進むと、自然と最高点に到達する。

○『江天一覧』からの展望は、絶景と言うしかない。標高は僅か44辰蕕靴い、眺望は素晴らしい。ここを訪れる人が多いのが納得される。それに旧暦6月は蓮花の季節でもある。もっとも鎮江金山寺が華やぐ時節である。

○本当は、鎮江金山寺は長江から眺望するのが最上なのではないか。それから鎮江金山寺へお参りするのが望ましい気がする。鎮江金山寺は参詣して眺望を楽しむことも出来るし、鎮江金山寺を遠望するのも、絶景であるように思えた。

○鎮江金山寺の東、4劼頬霧濃蓋?爐存在する。嘗て甘露寺が存在したところである。その北固山公園山頂から鎮江金山寺を遠望したが、あまりに遠くて、よく見えなかった。北固山公園については、後日触れたい。