米芾:賛道 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○南岳衡山文学を捜索している際に、『米芾賛道』にぶち当たった。『米芾』は人名だから、『賛道』が詩題だと思われる。

  【原文】
      賛道
        米芾(宋)   
    陣斷衡陽暫此回
    沙明水碧岸莓苔
    相呼正喜無繒繳
    又被孤城画角催

  【書き下し文】
      賛道
        米芾(宋)   
    陣を斷つ衡陽、暫く此に回る、
    沙は明るく水は碧、岸には莓苔のあり。
    相呼び正喜す、繒繳の無きを。
    又、孤城に、画角の催さるる。

  【我が儘勝手な私訳】
    秋になると、雁は衡陽で南への旅を終え、暫く、この地に滞在する、
    衡陽の川岸は砂浜で明るいし、湘水は碧く流れ、岸辺には雁の好物の苔が生えている。
    雁たちはお互い呼び合い、喜ぶ、ここには何処にも罠が仕掛けて無いことを。
    衡陽の町には、再び、終日雁の鳴き声が聞こえる季節となる。

○何とも佳詩である。衡陽が長閑で、優雅で、自然豊かな土地であることを、この詩はよく伝えている。衡陽には、回雁峰だって存在する。こういう詩を創る詩人は、只者では無い。

○中国の検索エンジン百度の「百度百科」が案内する『米芾』は、次の通り。

      米芾
   米芾[fú](1051-1107),自署姓名米或为芊,芾或为黻[fú]。北宋书法家、画家。祖籍山西太原,
  迁居湖北襄阳,后曾定居润州(今江苏镇江)。天资高迈、人物萧散,好洁成癖。被服效唐人,多蓄奇
  石。书画自成一家。能画枯木竹石,时出新意,又能画山水,创为水墨云山墨戏,烟云掩映,平淡天真。
  善诗,工书法,精鉴别。擅篆、隶、楷、行、草等书体,长于临摹古人书法,达到乱真程度。宋四家之
  一。曾任校书郎、书画博士、礼部员外郎。
   因个性怪异,举止颠狂,遇石称“兄”,膜拜不已,因而人称“米颠”。宋徽宗诏为书画学博士。又
  称“米襄阳”、“米南宫”。
  http://baike.baidu.com/view/69377.htm?fr=aladdin

○米芾は書法家として著名な人物らしい。日本のウィキペディアフリー百科事典にも、詳しい案内を載せる。

      米フツ
   米 芾(べい ふつ、皇祐3年(1051年) - 大観元年(1107年)[1])は、中国の北宋末の文学者・
  書家・画家・収蔵家・鑑賞家であり、特に書画の専門家として活躍した。
   初名は黻[2]、字は元章(げんしょう)、官職によって南宮(なんぐう)、住拠によって海岳(か
  いがく)と呼ばれ、号は襄陽漫仕(じょうようまんし)・海嶽外史(かいがくがいし)・鹿門居士
  (ろくもんこじ)などがあり、室名を宝晋斎[3]といった。子の米友仁に対して大米と呼ぶ。湖北襄
  陽の人で、後に潤州に居を定めた(現在の江蘇鎮江)。
  【業績】
   書においては蔡襄・蘇軾・黄庭堅とともに宋の四大家と称されるが、米芾は4人の中で最も書技に
  精通しているとの評がある。他の3人はエリート政治家として活躍したが、米芾は書画の分野のみで
  活躍した専門家であった。彼の題跋は今日でも王羲之や唐人の真跡を研究する上で最も重要な参考資
  料になっており、その鑑識眼は中国史上最高ともいうべきものである[4]。画においては米法山水の
  創始者として知られ、多くの人に模倣された。また、従来、専門家が行っていた篆刻を作家自ら始め
  た人物とも目されている(篆刻#宋・元を参照)。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E3%83%95%E3%83%84

○米芾の「賛道」詩を読んで、只者では無いと思ったが、その略伝を読むと、そのことがよく判る。まさに奇人変人の類である。それに生粋の中国人でも無いらしい。それでいて、中国人以上に書をよくしたと言うのだから、驚く。

○米芾がどういう人であるか、まるで知らない者が言うのも烏滸がましい気がするけれども、米芾は、間違いなく道士である。そうでなくては、こういう詩は書けない。米芾が最も愛したとされる王羲之を通じて、米芾は道学を受容したのではないか。

○昨年6月に、武昌の黄鶴楼を訪問した。その際、南門から黄鶴楼へ向かう途中、『米芾拝石』のモニュメントを見付けた。その時、気にはなっていたが、『米芾拝石』について、「百度百科」は、次のように載せる。

      米芾拜石
   著名的古代文人典故之一。宋朝是因为科举制度的完善,市井气息的形成,使得士大夫文化成为宋朝
  文化之主流,这样就形成了诸多的以士大夫的雅文趣事,流传于世,读来使人顿生闲情雅趣之感。而大
  书法家米芾拜石的典故更是显得荒诞,趣味十足。
   他的书画造诣非常高,宋徽宗时官居书画学博士。他一生博雅好石,精于鉴赏。他生性诙谐古怪,好
  洁成癖,有人赠诗予他:“衣冠唐制度,人物晋风流。”
  http://baike.baidu.com/view/343882.htm?fr=aladdin

○やはり、米芾は常人では無い。そうでなくては、こういう詩は書けない。それが米芾「賛道」詩である。