杜甫:歸雁二首・其の一 | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

イメージ 1

○杜甫に、「歸雁二首」詩がある。今回は「歸雁二首・其の一」を案内したい。

  【原文】
      歸雁二首:其一
        杜甫
    萬里衡陽雁
    今年又北歸
    雙雙瞻客上
    一一背人飛
    雲里相呼疾
    沙邊自宿稀
    系書元浪語
    愁寂故山薇

  【書き下し文】
      歸雁二首:其一
        杜甫
    萬里、衡陽の雁、
    今年、又た北に歸る。
    雙雙、客の上を瞻ずれば、
    一一、人を背にして飛ぶ。
    雲里、疾を相呼び、
    沙邊、自ら宿るは稀なり。
    繫書、元々、浪語なり、
    愁寂す、故山の薇。

  【我が儘勝手な私訳】
    春になると、遙か一万里南、衡陽の雁は、
    例年通り、今年も又、北帰行を決意する。
    旅人が上空を見上げると、雁の群れが翼を広げて飛んで行くのを見る、
    一羽一羽と、雁の群れは旅人を置き去りにして飛んで行く。
    雁は遙か上空で、お互い弱い者を励まし合いながら飛び、
    雁が川辺に降り立って宿ることは、ほとんどない。
    随文贈言、諸書に書かれた雁行は、つまらない、
    憂愁寂寞、故郷の木々が懐かしくて、雁は北帰行するのだ。

○杜甫の「歸雁」詩には、杜甫の雁に対する憧憬と羨望が見られる。自らの積極的意志に拠り、行動する雁行は杜甫にとって、何とも羨ましい。それは自身の生活の為に地方を転々とせざるを得ない身上とまるで違う。何より、雁は秋に決まって南下し、春に決まって北へ帰る。そういう天道に導かれた旅行なのである。それに対して、杜甫の旅行の何と心許ないことか。杜甫は自らを心底嘆くしかないのである。

○杜甫の「歸雁」詩に出現する『客』や『人』は、多分、杜甫なのだろう。
  雙雙瞻客上    雙雙、客の上を瞻ずれば、
  一一背人飛    一一、人を背にして飛ぶ。
呆然と、ただ雁を見送るしかない杜甫の絶望は、推して知るべしである。

○ちなみに、杜甫は河南省鞏県の人である。現在であれば、河南省鞏義市站街鎮南瑶湾村となる。洛陽市から東へ76辧鄭州から西へ82劼里箸海蹐任△襦K未砲浪河が流れ、南には嵩山が聳える。鞏義市站街鎮には、現在、杜甫故里景区が存在するらしいが、未見である。