鶏が鳴く吾妻 | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

イメージ 1

○前回案内したように、「日本書紀」には『あづま』地名起源について、次のように載せる。

   時日本武尊、毎有顧弟橘媛之情。故登碓日嶺、而東南望之三嘆曰、「吾嬬者耶。」
  故因号山東諸国、曰吾嬬国也。
  時に日本武尊、毎に弟橘媛を顧びたまふ情有します。故、碓日嶺に登りて、東南を望りて三たび嘆き
  て曰はく、「吾嬬はや。」とのたまふ。故因りて山の東の諸国を号して、吾嬬国と曰ふ。

○それは「古事記」も同じである。

   其れより入り幸でまして、悉に荒ぶる蝦夷等を言向け、亦山河の荒ぶる神等を平和して、還り上り
  幸でます時、足柄の坂本に到りて、御粮食す処に、其の坂の神、白き鹿に化りて來立ちき。爾に即ち
  其の咋ひ遺したまひし蒜の片端を以ちて、待ち打ちたまへば、其の目に中りて乃ち打ち殺したまひき。
  故、其の坂に登り立ちて、三たび嘆かして、「阿豆麻波夜。」と詔云りたまひき。故、其の国を号け
  て阿豆麻と謂ふ。

○「日本書紀」では、走水で入水した弟橘媛を日本武尊が偲んで呼んだ言葉が『吾嬬者耶』だとしているのに対し、「古事記」の『阿豆麻波夜』は、倭建命が白鹿の目に蒜を当てて、「当つ目(あつま)はや」と、目に当たったことを意味している。もちろん、こういう伝承が創作であることは誰でもが理解していることである。それに、『あづま』と言う言葉自体は、それほど新しい言葉では無い。

○岩波古語辞典には、『あづま』について、次のように載せる。

      あづま
   東国。文化的・言語的に西部日本と相違が大きく、後進地域と見なされていたので、畿内の人人か
  ら侮蔑の目で見られることが多かった。古代の「あづま」の範囲については、三つの場合があった。
  )鑈媾鍵柄阿了?紊砲蓮碓日峠と足柄山とから東の地域。関東・東北地方の総称。
  ⊃濃・遠江国より東の国をいう。
  6畊捷颪琉坂山より東の国国をいう。

○『坂東』の言葉も、ここから来ているのであろう。そう言う意味では、倭建命・日本武尊の伝承の影響は大きい。ただ、伝承は、あくまで伝承であって、それが真実だと言うわけではない。

○「万葉集」に枕詞と言う修辞があって、『あづま』に掛かる枕詞として、『鶏が鳴く』がある。岩波古語辞典には次のように案内する。

      とりがなく
   [枕詞]地名「あづま」にかかる。東国のことばがわかりにくく、鶏が鳴くように聞こえたことから。

○何とも、お粗末な説明に驚く。天下の岩波古語辞典でもそうであるから、他の辞書の説明がこれ以上であることは考えられない。枕詞「鶏が鳴く」は、今でもこのような説明が真実だとされていることが判る。

○当古代文化研究所では、これまで幾つかの枕詞について言及している。枕詞はなかなか面白い。枕詞「鶏が鳴く」にしたところで、決して、そんなつまらないものではない。古代人の言語感覚は、現代人を遙かに凌ぐものがある。何しろ、言霊を信じていた時代の人々の話である。そんな時代の人々が上記のようなことを信じるはずが無い。

○もともと、枕詞『鶏が鳴く』は、「あかとき」「あさ」「あす」「あした」などに掛かっていたものと思われる。だから「あづま」にも掛かる。そういうことは、少し枕詞を勉強すれば判ることである。そういう努力を怠って、安易に通説に寄り掛かろうとする学者先生の姿勢は、何とも滑稽である。通説はまず疑ってかかるのが賢明である。

○枕詞『鶏が鳴く』については、以前に詳しく書いているから、そちらを参照されたい。
  ・書庫「鶏が鳴く 吾妻」:ブログ『枕詞「『鶏が鳴く』の不思議』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/4567123.html

○多くの枕詞は、ほとんど解明されていない。枕詞を研究すると、古代人の言語感覚が如何に鋭敏で、優れているかに驚かされる。到底、現代人の及ぶものではない。枕詞『鶏が鳴く』もそういう枕詞の一つである。