あさくさ浅草寺 | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

○スカイツリーから降りた後、天気が良かったら、言問橋を渡って浅草寺へ参詣するつもりだった。しかし、あいにくの雨模様であった。仕方が無いから、都営銀座線へ乗って、浅草へ向かった。

○2番出口を出ると、すぐにあさくさ浅草寺雷門である。扁額には金龍山の金文字が目映い。まだ朝の9時だと言うのに、浅草は大勢の参詣客で大賑わいである。よくよく観察すると、修学旅行生と中国からの観光客が多かった。

○仲見世を冷やかして歩いた。朝から、仲見世はなかなか威勢が良い。雷門から宝蔵門までおよそ200辰らいだろう。人の波に押されて歩く感じであった。

○宝蔵門の左手には五重塔が建っている。宝蔵門と本堂の間に大きな香炉が存在し、もくもくと煙を揚げている。中国では参詣客の誰もが線香を手にして参拝するけれども、日本ではそういう習慣があまり無い。代わりに、日本ではお賽銭を差し上げることが多い。中国では、日本のお賽銭箱に該当するものを「福田」と称する。

○金龍山浅草寺は観音信仰の寺である。日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する浅草寺は、次の通り。

      浅草寺
   浅草寺(せんそうじ)とは、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。山号は金龍
  山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立
  し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音
  様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13
  番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%AF%BA

○浅草寺のHPには、浅草寺縁起について、次のように載せる。

      浅草寺縁起(由来)
   時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまな
  り・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊
  像を感得(かんとく)した。郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)はこれ
  を拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依(きえ)し、その後出家し、自宅を改めて寺と
  なし、礼拝(らいはい)供養に生涯を捧げた。
   大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立
  し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されている。
   広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発
  展し、平安初期には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)さま(794~864、浅草寺中興開
  山・比叡山天台座主3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
   鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも
  集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められ
  てからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。かく
  して都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、
  年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。
      慈悲の仏さま
   浅草寺ご本尊の観世音菩薩さま
   観音さまは、多くの仏さまの中でも最も慈悲深い仏さまであり、人々の苦しみを見てはその苦しみ
  を除き、願いを聞いては楽しみを与えてくださいます。
   特に浅草寺ご本尊の観音さまのご利益・ご霊験は古今無双であり、ご示現より今日まで1400年
  近くにわたり計り知れぬほどの人々を救われご加護なさってきました。
   観音さまのご信仰とは、観音さまに「慈悲」のお心を頂いて生きること、すなわちすべてに「あた
  たかい心」で接して日々を過すことと申せましょう。
   ※ご参拝の際には合掌して「南無観世音菩薩」とお唱えいたしましょう。
  http://www.senso-ji.jp/about/index.html

○浅草寺は現在、観光の寺であって、大勢の観光客が訪れている。果たして、その中の幾人が「南無観世音菩薩」と唱えるだろうか。

○中国浙江省に普陀山と言う、観音信仰の聖地が存在する。これまで5回参拝したが、浅草とはまるでその参詣の様相が違うのに驚く。まだ、普陀山には信仰が残っている。
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:31個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1204492.html?m=l&p=1
  ・書庫「普陀山・洛迦山」:29個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1210153.html?m=l&p=1
  ・書庫「寧波三歩・洛迦山参詣」:34個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1221590.html?m=l&p=1
  ・書庫「観音信仰の島:普陀山」:14個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1228925.html?m=l
  ・書庫「日本仏教伝来の普陀山」:37個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1241668.html?m=l&p=1

○あさくさ浅草寺の喧噪の中、信仰とは何か。そういうことを改めて考えさせられた。

  【御詠歌】
  ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草に まいる身なれば