南京:秦淮河 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○南京の鐘山風景名勝区を観光して回った後、宿泊先である、夫子廟近くの南京白鹭宾馆ホテルへ帰り着いたのは、ちょうど午後5時頃であった。まだ明るいので、今日のうちに夫子廟まで見学を済ませたい。それで、急いで夫子廟へと向かった。

○南京白鹭宾馆ホテルから夫子廟は100辰らいで、極めて近い。その途中に、秦淮河を渡る文源橋と言う橋が架かっている。つまり、橋の手前に南京白鹭宾馆ホテルが存在し、橋を渡ると、もうすぐに夫子廟である。

○そう言う点で、南京白鹭宾馆ホテルは頗る便利なホテルである。南京旅行を思い立った際、折角泊まるのであるから、記念になるようなところに宿泊したかった。それで選んだホテルが南京白鹭宾馆ホテルである。日本なら、さぞかし、浅草みたいなところのホテルである。

○意外に、日本のウィキペディアフリー百科事典にも、秦淮河項目が存在し、結構詳しい。

      秦淮河
   秦淮河(しんわいが、Qinhuai river、簡体字:秦淮河、拼音: Qínhuái hé)は、中華人民共和国
  の江蘇省南京市内を貫く河川。長江下流(揚子江)の右支流で、南京市内では長江を除くと最大の川
  である。全長は100キロメートル余り、流域面積は2,600平方キロメートル余りで、句容市(鎮江市)、
  溧水県(南京市)、江寧区などを流れている。
  【歴史】
   内秦淮河は全長9.6里あり(中国の里はだいたい500メートルほど)、このため「十里秦淮」と呼ば
  れている。建康(南京)に首都が置かれた六朝時代、建康の都城内には繁華な居民区や商業区が栄え
  六朝文化が花開いていたが、隋が陳を滅ぼした後は見る影もなく凋落した。南京が再び繁華な大都会
  となるのは明清代になってからで、内秦淮河の両岸には人家が密集し、楼閣が立ち並び非常に繁栄し
  た。明清時代、この地には科挙の試験場である江南貢院や、明太祖朱元璋が設立した官営の芸妓院で
  ある富楽院(旧院)があり、江南貢院と富楽院は内秦淮河を挟んで向かい同士だった。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B7%AE%E6%B2%B3

●秦淮河を文源橋で渡った先に江南貢院があったから、現在、南京白鹭宾馆ホテルが建つところが富楽院のあったところになるのではないかと思われる。

●南京は、揚子江下流域の中心都市である。その南京の町を形成しているのが秦淮河流域となっている。ある意味、水郷の町なのであるが、あまりに町が大きく、完全に水路を埋め尽くしているので、そういう感じがまるでしない。

●ただ、南京情緒を感じようと思えば、秦淮河界隈を歩くと、存分に南京を満喫出来る。南京の鐘山風景名勝区が南京第一の観光地なら、秦淮河界隈は南京第一の繁華街と言えよう。

○中国の検索エンジン百度『百度百科』が載せる秦淮河は、次の通り。

      秦淮河(中国历史文化名河)
   秦淮河是南京古老文明的摇篮,南京的母亲河,历史上极富盛名。这里素为“六朝烟月之区,金粉荟
  萃之所”,更兼十代繁华之地,“衣冠文物,盛于江南;文采风流,甲于海内”,被称为“中国第一历
  史文化名河”。
   远在石器时代,流域内就有人类活动。从东水关至西水关的沿河两岸,东吴以来一直是繁华的商业区
  的居民地。六朝时成为名门望族聚居之地,商贾云集,文人荟萃,儒学鼎盛。宋代开始成为江南文化的
  中心。
   明清两代,尤其是明代,是十里秦淮的鼎盛时期。明末清初,秦淮八艳的事迹更是脍炙人口。金粉楼
  台,鳞次栉比;画舫凌波,桨声灯影构成一幅如梦如幻的美景奇观。
  【重要地位】
   在众多的南京人和外地人心目中,秦淮似乎是个永恒的话题。她是古城金陵的起源,又是南京文化的
  摇篮。这里素为“六朝烟月之区,金粉荟萃之所”,更兼十代繁华之地,被称为“中国第一历史文化名
  河”。
   秦淮河从历史上看来,文明总是从有水的地方来的,正如同黄河之于中国、恒河之于印度、尼罗之于
  埃及。或者缩小到城市范围看,如同嘉陵江之于重庆、府南河之于成都、松花江之于哈尔滨、湘江之于
  长沙、珠江之于广州。秦淮河对于南京就是这样的河,秦淮河在通济门分两支,一只绕道南城墙外向西
  流,称为外秦淮河;另一只通过东水关进了南京城,这才有了“烟笼寒水月笼纱,夜泊秦淮近酒家”的
  繁庶秦淮。
   秦淮河流淌了千年,也包容了无数朝代里或沉重或清浅的失意怠倦,文人骚客仕人遗老,居庙堂之高
  的贵人达官,带着一身的落寞半世的羁绊,在这十里秦淮上,在微凉却又飘荡着迷离的夜色里,听听江
  南小调,品品香茗佳肴、美人在怀,丝竹犹耳,大抵可以用浅斟低唱挥一挥尘世的浮名、官场的跌宕。
   六朝金粉、水洗凝脂的奢华,南宋隅安、晚明落魄的萧瑟,隔江犹唱后庭花的一段段醉生梦死,与文
  人政客相互交缠的一腔腔辛酸与无奈,至今已变得遥远,曾经的十里秦淮唯一不变的,大抵是这喧嚣吧。
  如今你看,各地的游人、各色的景象、各样的声音,而舞低杨柳楼心月,歌尽桃花扇底风,大抵也成了
  不同口中不变的时尚,丝竹弦乐、昼夜笙歌,有的只是一水秦淮承载着千古悠悠多少梦幻。
  http://baike.baidu.com/subview/33559/10064215.htm

●夫子廟前の秦淮河が特に見事であった。川沿いには洒落たレストランが立ち並び、秦淮河には見事な装飾が施されていて、実に美しい。大勢の観光客で秦淮河は賑わっていた。

●南京で、最も南京らしいところが秦淮河なのではないか。人が多くごみごみとしているが、それがまた楽しい。土産物店や飲食店、骨董店などが軒を並べていて、散策するだけで十分南京の風情を感じることが出来る。

●2013年10月16日、夕方の3時間あまりをここで過ごした。夫子廟を見学し、骨董店や土産物店を見て歩き、夕食もここで済ませた。

●土産物店では、綺麗な石が沢山売っていた。何でも南京特産であるらしい。記念に綺麗な石のブレスレットを買ってお土産とした。