南京:中山陵 | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

○紫金山山頂に居たのは12時45分ころまでで、中山陵に到着したのは14時くらいであったから、紫金山から下山するのに1時間も要した。結構急いで下りたつもりだったが、何しろ長い下山道であった。道はずっと舗装されていて、立派な道である。道幅も2車線くらいだから、優に車も走ることが出来る。

○下山道は霊谷寺方面へ下っていたが、途中に案内標識があったので、中山陵方面へ右折した。万福寺址を抜けて更に下り続けると、ようやく中山陵へ到着。

○紫金山山頂は若者ばかりだったが、中山陵前にはお年寄りの団体客御一行が群れをなし、騒然としていた。人の多さは格段にここの方である。それほど、中山陵は、中国人にとって、特別の存在なのであろう。

○中山陵は、孫文のお墓である。日本のウィキペディアフリー百科事典が載せる孫文は、次の通り。

      孫文
   孫 文(そん ぶん、1866年11月12日 - 1925年3月12日)は、中国の政治家・革命家。初代中華民国
  臨時大総統。中国国民党総理。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」、中華人民共和国と中華民国で
  は国父(国家の父)と呼ばれる。また、中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」
  として近年「国父」と呼ばれる。海峡両岸で尊敬される数少ない人物である。
   中国では孫文よりも孫中山の名称が一般的であり、孫中山先生と呼ばれている。1935年から1948年
  まで発行されていた法幣(不換紙幣)で肖像に採用されていた。現在は100新台湾ドル紙幣に描かれ
  ている。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87

○中国の検索エンジン百度『百度百科』が載せる孫文は、次の通り。

      孙中山
   孙中山(1866年—1925年),名文,字载之,号日新,又号逸仙,幼名帝象,化名中山。生于广东香
  山县(即中山市)翠亨村的农民家庭。青少年时代受到广东人民斗争传统的影响,向往太平天国的革命
  事业。是中国近代民主主义革命的先行者,中华民国和中国国民党创始人,三民主义的倡导者。首举彻
  底反封建的旗帜,“起共和而终帝制”。
   1905年成立中国同盟会。1911年辛亥革命后被推举为中华民国临时大总统。1925年3月12日孙中山在
  北京逝世,1929年6月1日,根据其生前遗愿,将陵墓永久迁葬于南京紫金山中山陵。[1]1940年,国民
  政府通令全国,尊称其为“中华民国国父”。孙中山著有《建国方略》、《建国大纲》、《三民主义》
  等。其著述在逝世后多次被结集出版,有中华书局1986年出版的十一卷本《孙中山全集》,台北1969、
  1973、1985年出版的《国父全集》等。[2]孙中山是中国伟大的民主革命先行者,为了改造中国耗尽毕
  生的精力,在历史上建立了不可磨灭的功勋,在政治上也为后继者留下珍贵遗产。
  http://baike.baidu.com/view/2559.htm

○孫文の尊称は「中华民国国父」。中国では「中国伟大的民主革命先行者」と高く評価されている。南京の中山陵前が大賑わいなのも、よく理解される。

○中山陵碑坊には『博愛』の扁額が掲げられていた。その文字が如何にも孫文に相応しい気がする。長い参道の先に青屋根の中山陵が眩しい。

○中山陵前には、钟山风景名胜区の案内板も設置してあり、紫金山の南麓中央に中山陵景区、その左手に
明孝陵景区、右手に灵谷景区が存在することが判る。この辺りが南京の最も神聖な土地である。

○中国の検索エンジン百度『百度百科』が載せる中山陵は、次の通り。

      中山陵
   中山陵是中国近代民主革命先行者孙中山的陵墓,及其附属纪念建筑群。中山陵自1926年春动工,至
  1929年夏建成,面积共8万余平方米。1961年成为首批全国重点文物保护单位,2007年成为首批国家5A
  级景区。
   中山陵位于南京市东郊钟山风景名胜区内,东毗灵谷寺,西邻明孝陵,整个建筑群依山势而建,由南
  往北沿中轴线逐渐升高,主要建筑有牌坊、墓道、陵门、石阶、碑亭、祭堂和墓室等,排列在一条中轴
  线上,体现了中国传统建筑的风格,从空中往下看,像一座平卧在绿绒毯上的“自由钟”。
   中山陵各建筑在型体组合、色彩运用、材料表现和细部处理上均取得极好的效果,音乐台、光华亭、
  流徽榭、仰止亭、藏经楼、行健亭、永丰社、永慕庐、中山书院等建筑众星捧月般环绕在陵墓周围,构
  成中山陵景区的主要景观,色调和谐统一更增强了庄严的气氛,既有深刻的含意,又有宏伟的气势,且
  均为建筑名家之杰作,极高的艺术价值,被誉为“中国近代建筑史上第一陵”。
  http://baike.baidu.com/link?url=Fe0l6LT7cM3ItZ1_C9dI7x4F8eoUUShcTucHVEsJekto-JT3qhzXsh6a9h1SQLrc

○ただ、全部を見て回るには、あまりに大きく広い。とても歩いて廻る気にはなれない。タクシーでも居たら拾うのだが、それも見当たらない。電動のカートがここでは活躍していた。

○折角、来たのだから、明孝陵景区までは訪れたいと思い、明孝陵景区へ向かう。電動カートもあったが、歩いて行った。中山陵前から明孝陵景区は15分ほどを要した。1劼らいなのだろう。