○そういうことを推測させるのが二亀聴法石の伝説である。以前、西天香道を訪れた際、そのことについては、すでに検証している。
・書庫「普陀山・洛迦山」:ブログ『二亀聴法石』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36937513.html
○再度、二亀聴法石の伝説を掲載して考えると、
二龜聽法石
二龜聽法石は、磐陀石の西、五十三參石下端の岩崖の上に存在する。それは、ウミガメに似た二つ
の石であって、一匹の亀は崖の頂きに居て、後ろを振り向く姿で、後から来る亀を待っているふうで
ある。もう一匹の亀はまだ大石の下の縁に居て、頭をもたげ、首を真っ直ぐ延ばしている。この二龜
聽法石の姿は非常に真に迫っていて、遊覧客を感嘆させている。
伝説に拠れば、二匹の亀は竜宮城から遙々と竜王の命を受けて観音菩薩の説法を聴きに普陀山にや
って来た。ところが、二匹の亀はすっかり観音菩薩の説法に聞き入ってしまい、完全に竜宮城に帰る
ことを忘れて、とうとう石と化してしまったと言う。
別の伝説に拠れば、二匹の亀は、もともと雌と雄であった。まだお互い知り合いでなかった時、説
法を聞いている最中に互いに色目を使い、相手に秋波を送った。だから観音様に罰されて石亀にさ
れ、修行に不誠実な者はこういうふうになるとの戒めを示していると言う。
清の時代の詩人、何辰生の詩の中に、
見說磐陀若地靈 磐陀を見說すれば、地靈の若し
普門曾此坐談經 普門曾て此れに坐して經を談ず
二龜何事翻成石 二龜何事ぞ翻って石と成る
想是當年不解聽 是を想ふに當年聽くに解せず
【我が儘勝手な私訳】
・普陀山中に有名な磐陀石がある。実際普陀山に赴き、磐陀石に接見すれば判る
ことだが、それは単なる石ではない。それは普陀山の地霊に他ならない。
・磐陀石は観音様が嘗て座禅を組んで観音経を講じなさった聖跡である。
・五十三參石に居る二龜聽法石がどういうわけで石と化してしまったか。
・今、ここでそれを考えるのだけれども、信仰心の薄い私には、なかなかそれを
理解することは難しい。
があって、これもまた、二龜聽法石の一つの解釈である。
○こういう話が幾つか並ぶだけで、十分人を引き付ける。おそらく普陀山西天香道五十三参石には、そういう法話が列挙されていたに違いない。ここを訪れる人は、五十三参石の話を一つずつ聞きながら参詣して廻り、最後に到達するのが磐陀石であり、説法台石だった。そういうふうに考えると、普陀山西天香道がよく理解される。
○何辰生の詩は、そういう二亀聴法石の伝説に基づいて作られている。その思考が、まるで、私達現代人と同じであることが楽しい。すでに、清代に何辰生はそういう感慨を抱いている。
●二亀聴法石のすぐ西側に、極楽亭が存在する。「極楽亭」とは、何とも立派な名であるからして、素晴らしい庵を想像なさるかも知れない。しかし、実物は、コンクリート製の四阿で、何とも貧弱な建物である。何処の公園にでも普通に見られる屋根付きの休息所と言った代物である。
●それでも、『Putoushan Travel Guide(普陀山自由行指南)』も、次のように案内して載せている。(原文は簡体字)
極楽亭
極楽亭位于観音洞側、相伝這裡是「接引佛」接送得道者到西方極楽世界的地方。
極楽亭背靠大海、四周大樹環繞、石柱上的対聯在時時刻刻誡過往游人「貪得宇宙溢、知足天地寛」。
●極楽亭そのものは、何の見所も無い四阿に過ぎない。しかし、極楽亭にはとんでも無い至宝が存在する。それは極楽亭からの眺望である。それは極楽亭の石柱に刻まれている対聯、
貪得宇宙溢
知足天地寛
が案内するもので、広大な西方世界の眺望なのである。
●貧弱な極楽亭から望む西方世界の眺望は、何とも見事なものである。私がここを訪れたのは、2013年10月13日午後3時40分ころで、間もなく夕景色へと変容する時間帯であったから、尚更、美しい景色であった。
●敬虔な仏教徒であれば、ここで夕暮れ時の至福の時間を過ごすのであろう。しかし、如何せん、私は疲れ果てていた。それに、この下に存在する観音洞に参詣する時間も欲しかった。
●再度、普陀山を時間を掛けて訪れる時の楽しみに、極楽亭での日没は断念した。
◎同じ風景を、2012年7月19日にも見ている。
・書庫「普陀山・洛迦山」:ブログ『普陀山西天景区』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36932047.html