卑弥呼の館? | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

○先日、2014年1月30日付の宮崎日日新聞第一面、トップ記事に、
      「卑弥呼の鏡」は魔鏡
     太陽光反射、文様浮かぶ
     京都国立博物館:レプリカ作り実験
   「卑弥呼(ひみこ)の鏡」と呼ばれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が、
  鏡面に太陽光を当て壁に反射させると、裏面の文様を映し出す「魔鏡(まきょう)」だったことが
  分かり、京都国立博物館の村上隆学芸部長(歴史材料科学)が29日、発表した。愛知県犬山市の
  東之宮古墳(3世紀後半)で出土した三角縁鏡を基に、3Dプリンターを使って精巧なレプリカを
  作って実験した。魔鏡は中国では紀元前からあるが、日本でしか出土しない三角縁鏡で確認される
  のは初めて。
との記事が出て、大層驚いた。卑弥呼の鏡が発見されたとなれば、それは大発見であり、大ニュースであることは間違いない。

○ところが実際は、まるで陳腐な話であるのに、再度驚いた。三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡であることは100%あり得ない話である。何故なら、「魏志倭人伝」の記録するところに拠れば、卑弥呼の鏡は100枚しか無い。それに対して、三角縁神獣鏡は国内で500枚以上出土している。と言うことは、三角縁神獣鏡の総数は、おそらく数万枚を下らないだろう。そんな三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡であるはずもない。

○こんな妄想を放言したのは、京都国立博物館の村上隆学芸部長(歴史材料科学)だと言う。インターネット「KAKEN」に出ている、
  村上 隆
  ムラカミ リュウ   Murakami, Ryu
  Researcher Number:00192774
なら、その経歴は、
  FY2011:独立行政法人国立文化財機構京都国立博物館 / 学芸部 / 副部長
  FY2010:独立行政法人国立文化財機構京都国立博物館 / 学芸部 / 保存修理指導室長
  FY2008~FY2010:独立行政法人国立文化財機構京都国立博物館 / 保存修理指導室 / 室長
  FY2007:独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所 / 都城発掘調査部 / 上席研究員
  FY2007:独立行政法入文化財研究所奈良文化財研究所 / 都城発掘調査部 / 上席研究員
と言うことになる。何のことはない。単なる考古学者先生のいつもの大法螺であることが判る。

○2014年2月7日の今日、朝日新聞33面社会面に、またまた次のような記事が載って驚いた。

      卑弥呼の館?もう一棟
      奈良・纒向遺跡
      3世紀の大規模建物群広がる
   女王・卑弥呼が治めた邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向遺跡(国史跡、3世紀初
  め~4世紀初め)で、2009年に確認された3世紀前半(弥生時代末~古墳時代初め)の大型建物
  跡のすぐ東側から、建物跡1棟が見つかった。市教委が6日発表した。大型建物跡などの建物群と同
  じ東西の同一線上に中心軸が並ぶことから同時期の建物とみられ、専門家は「この時代では異例の広
  さ。邪馬台国の中枢施設との見方が強まる」と指摘している。(中略)
   石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)は「東西150辰猟絞?繕莢茲凌燭鹵罎魎咾ように、
  規格性を持って並ぶ建物群がほぼ確認できた。3世紀ではとんでもない規模の大きさだ」と指摘。
  「中国の史書『魏志倭人伝』に登場する卑弥呼と台与の2人の女王時代の居館域だった可能性が強ま
  った」と話す。

○ウィキペディアフリー百科事典に拠れば、石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)について、
   石野 博信(いしの ひろのぶ、1933年 - )は日本の考古学者。主として古墳時代を研究領域とし
  ており、とくに纒向遺跡の発掘調査に携わったことで知られる。
と記す。何のことはない。京都国立博物館の村上隆学芸部長(歴史材料科学)も、石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)も、同じ穴の狢に過ぎない。

○何とも出鱈目な話であるのに、ただ驚くしかない。文中、『専門家』と言うのが考古学者であることは言うまでもない。しかし、よくよく考えて欲しいのだが、邪馬台国も卑弥呼も『魏志倭人伝』に記録されている史実なのである。それなら、考古学者は決して専門家などではない。実は邪馬台国も卑弥呼も考古学の範疇にすら無い代物なのである。

○はっきりしていることは、邪馬台国も卑弥呼も『魏志倭人伝』に記録されている史実だと言うことである。それなら、邪馬台国や卑弥呼に言及するのであれば、その根拠を明らかにする必要がある。そんなことは誰が考えても、当たり前のことに過ぎない。

●『魏志倭人伝』には、魏国が認識する3世紀の倭国について、次のように案内する。
  【倭国三十国】
    渡海三国      狗邪韓国・対馬国・壱岐国
    北九州四国    末廬国・伊都国・奴国・不弥国
    中九州二十国  斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国・
               姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
               鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
    南九州三国     投馬国・邪馬台国・狗奴国
これに拠れば、邪馬台国が奈良県である可能性はまるで無い。

●また、『魏志倭人伝』に拠れば、帯方郡から邪馬台国までの道程は、次のようになる。
  【帯方郡から邪馬台国への道のり】
    ・帯方郡→狗邪韓国     七千余里
    ・狗邪韓国→対馬国      千余里
    ・対馬国→壱岐国       千余里
    ・壱岐国→末廬国       千余里
    ・末廬国→伊都国       五百里
    ・伊都国→ 奴国        百里
    ・ 奴国→不弥国        百里
    ・不弥国→投馬国     千五百余里
    ・投馬国→邪馬台国     八百余里
    ・末廬国→邪馬台国     二千余里

●更に、『魏志倭人伝』には、丁寧に、呉国から邪馬台国までの道程も案内してある。それが、
  ・計其道里當在会稽東冶之東。
  ・所有無與儋耳朱崖同。
であることは、言うまでもない。そのルートも紹介すれば、次のようになる。
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
  ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
  ・トカラ列島悪石島→トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
  ・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
  ・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
  ・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧

◎もういい加減、こういう歴史の素人が歴史に言及する事態を止めるべきなのではないか。これではあまりに「三国志」の編者、陳寿が可哀想である。「三国志」は、なかなか日本では読まれないけれども、名著である。日本で「三国志」と偽って読まれているのは、「三国志演義」か、もしくはその訳本に過ぎない。

◎現在の日本に於ける「魏志倭人伝」のような読まれ方をしたのでは、陳寿は何時まで経っても浮かばれまい。それに日本でいくら「魏志倭人伝」を読んだところで、何も見えて来ない。「魏志倭人伝」が中国の書物であることを認識しない限り、「魏志倭人伝」は真実を伝えてはくれない。

◎陳寿は偉大な史家である。中国に初めて詳細な倭国の状況を伝えた。それは上記したような倭国である。これを見れば、如何に陳寿が偉大であるかが判ると言うものだ。「魏志倭人伝」には何の矛盾も誤りも無い。だから、上記のような倭国観が案内出来る。

◎考古学者先生の虚言、妄想も結構だが、真実は一つしかない。全てはそのうち淘汰される。それに虚言、妄想からは、虚言、妄想以外、何も生まれない。

◎是非、「魏志倭人伝」を読んでいただきたい。「魏志倭人伝」は、わずか1984字だが、その言わんとすることは膨大である。

◎もっとも、素人に「魏志倭人伝」は読めない。中国の史書は中国の史家だけを読者対象としている。極めて特殊な書物である。日本の考古学者に「魏志倭人伝」が読めないのは、ある意味、当然のことである。だから、素人は口を挟めないのが中国の史書である。それは中国人であってさえ、そうである。況や日本人に於いては、尚更のことである。

◎はっきりしていることは、「魏志倭人伝」を読む限り、邪馬台国は畿内や北九州に存在しないと言うことである。そういう邪馬台国畿内説や北九州説は、容易に論破出来る。そんなものは学問ではない。

◎真実をはっきりさせるためにも、虚言や妄想は止めるべきである。そうしないと、マスコミに踊らされる学者先生も大変だが、虚言や妄想を受容せざるを得ない人々がもっと可哀想である。