「完読魏志倭人伝」から4年 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○本ブログ、「古代文化研究所」から『完読魏志倭人伝』(平成22年1月31日発刊:高城書房)を出して、今日でちょうど丸4年となる。

○ずっと前から、邪馬台国論争は気にはなっていた。論争と言いながら、ほとんど論争らしきものはなされない。お互いがお互いの主義主張を繰り広げるだけで、まるで咬み合わない論争は、近年は、完全に考古学者の発表の場と変容している。そこでは、肝心の「魏志倭人伝」すら問題とされない。不思議な世界である。

○「古代文化研究所」自体は、文学が専門であるから、あまり歴史に踏み入れたくはなかったのだが、偶々、「万葉集」で、大和三山を追求しているうちに、大和三山が南九州に存在する事実を知った。大和三山が存在するところが大和国以外であることは無い。それなら大和国は南九州だと言うことになる。

○それが発端で、仕方なく、「魏志倭人伝」を扱うことにした。実際、「魏志倭人伝」と言う書物は無く、『三国志』魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条を、日本人が勝手に「魏志倭人伝」と称しているに過ぎない。三世紀に書かれた、総字数1984字の「魏志倭人伝」に、日本人は江戸時代から翻弄され続けて来ている。

○私が手元に置いて読んでいるのは、
  ・岩波文庫「魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」
  ・「三国志」(全五冊):中華書局出版:新華書店北京発行所発行
である。一通り「三国志」に目を通し、『完読魏志倭人伝』では、「三国志」魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝の全文、9226字を通読している。

○「魏志倭人伝」が『三国志』の一部分であり、また『烏丸鮮卑東夷伝』の一部分であることを忘れてはなるまい。本を読むのに、全文を読まないで済ませることは出来ない。「三国志」の通読は、分量の関係で到底無理だから、『完読魏志倭人伝』は「三国志」のうち、『烏丸鮮卑東夷伝』を通読している。そのことに拠って、「魏志倭人伝」がどういうところに存在するかも理解されると判断したからである。

●丁寧に「魏志倭人伝」を読んで判ったことは、これまで多くの方が「魏志倭人伝」を読んだとして多くの説が存在するけれども、まるで読めていないことである。少なくとも、中国の史書はそういうふうに読むものではないと言う説や論ばかりであると理解した。

●もっとも、古代文化研究所は歴史に素人である。ただ、司馬遷の「史記」くらいは文学として読んでいる。その素人から見ても、日本に於ける「魏志倭人伝」の読み方はまるで的を射ていないことが判る。中国の史書はそういうふうに読むものでは無いことを司馬遷に教わっているからである。

●それで『完読魏志倭人伝』を書き、出版することとした。幸い、鹿児島の高城書房さんから出版することが出来た。「魏志倭人伝」に、それほど、難しい読み方が存在するわけでは無い。ほとんど史実の羅列が「魏志倭人伝」なのである。それも僅か1984字しかない。ある意味、中国語が読めるか、漢文が読めれば、誰だって「魏志倭人伝」を読むことは出来る。

◎ただ、正確に「魏志倭人伝」を読むことは決して容易なことではない。その証拠に、これまで誰も正確に「魏志倭人伝」を読んでいない。どうしてそんなことが言えるかと言うと、「魏志倭人伝」の主題さえ、誰も明確にしていないからである。

◎「三国志」の編者、陳寿が「三国志」の『魏志倭人伝』で目論んだのは、倭国三十国の全容に他ならない。陳寿は、中国で初めて倭国の全貌を中国に紹介しようとしたのである。それ以外に、陳寿が「魏志倭人伝」を書く理由は無い。そういうものを誰も「魏志倭人伝」に求めないし、「魏志倭人伝」から倭国の全貌が提示された話を聞いたことが無い。

◎「魏志倭人伝」が案内する倭国の全貌は、次の通りである。
  【倭国三十国】
    渡海三国      狗邪韓国・対馬国・壱岐国
    北九州四国    末廬国・伊都国・奴国・不弥国
    中九州二十国  斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国・
               姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
               鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
    南九州三国     投馬国・邪馬台国・狗奴国
こんな見事な表現方法が他に存在するであろうか。そう思えるくらい、完璧な表現だと言える。それを平然と成し遂げる陳寿の力量にただ、驚くしかない。これほど分かり易い倭国一覧は見たことが無い。

◎ただ、これを読み解くのは、容易な作業ではない。結果からなら、誰でも気付くであろうが、これを「魏志倭人伝」から読み解くのに、最低でも数年は要する。大概の方は途中で放棄するに違いない。私はここに到達するのに十年以上を要した。

○「魏志倭人伝」の編者、陳寿は、それでいて、なかなか親切な男でもある。少々、原文が誤写誤記なされることもしっかり勘定に入れて「魏志倭人伝」を書いている。そんなことは古代の書物であれば当たり前のことだったからに違いない。陳寿は、用意周到、二重三重に記録してくれている。

○そういう陳寿のお陰で、私達は二十一世紀になった現在であってさえ、三世紀の記録から帯方郡から邪馬台国までの道程を理解することが出来る。
  【帯方郡から邪馬台国への道のり】
    ・帯方郡→狗邪韓国     七千余里
    ・狗邪韓国→対馬国      千余里
    ・対馬国→壱岐国       千余里
    ・壱岐国→末廬国       千余里
    ・末廬国→伊都国       五百里
    ・伊都国→ 奴国        百里
    ・ 奴国→不弥国        百里
    ・不弥国→投馬国     千五百余里
    ・投馬国→邪馬台国     八百余里
    ・末廬国→邪馬台国     二千余里
実際、陳寿が記録するのは、
  ・(不弥国)南至投馬国水行二十日
  ・(投馬国)南至邪馬台国女王之所都水行十日陸行一月
なのだが、当然、陳寿は「魏志倭人伝」に日程を里数に換算する方法まで親切に提示してくれている。ただ、それを見抜くこともなかなか大変なことである。

●つまり、「魏志倭人伝」を読むことは、完全な謎解きに他ならない。そのことを碩学、宮崎市定が実に上手い表現をしているのを紹介しておく。
   このように『史記』においては何よりも、本文の意味の解明を先立てなければならないが、これは
  古典の場合已むを得ない。古典の解釈は多かれ少なかれ謎解きであって、正に著者との知恵比べであ
  る。そしてこの謎解きに失敗すれば、すっかり著者に馬鹿にされて了って、本文はまっとうな意味を
  伝えてくれないのである。             (「宮崎市定全集5 史記」自跋)

●私は「完読魏志倭人伝」の前書きの冒頭に、この宮崎市定の言葉を掲げている。「魏志倭人伝」の解読ほど、この言葉が似合うものは無いのではないか。そう思ったからである。

●導き出された結果は、誰が見ても美しいものでなくてはならない。真実は何時も美しい。陳寿が案内する倭国の全貌は、何とも見事で美しい。

●加えて、「魏志倭人伝」の全ての条件を満たすことも必要である。そうでない限り、何処かに矛盾が生じるし、綻びが出て来る。その点、「完読魏志倭人伝」の読解はそれらを全て充たしていると自負している。

◎最近、以前程、邪馬台国について聞くことが無くなったように感じる。邪馬台国はすでに完全発見されている。今どき、邪馬台国畿内説や北九州説を唱えることなど、誰にも出来ない。何故なら、邪馬台国も卑弥呼も「魏志倭人伝」に記録されている史実に過ぎない。その「魏志倭人伝」には邪馬台国は南九州だと明記されている。それで邪馬台国が畿内や北九州に存在することはあり得ない。そんなことは当たり前のことである。

◎それでも、時折、無責任で無知な考古学者先生が邪馬台国畿内説や北九州説を放言なさる。「魏志倭人伝」に拠らない邪馬台国や卑弥呼が堂々新聞のトップを飾ったりする。そんなものは過去の亡霊だし、お笑い種に過ぎない。

◎真実は一つしか無い。誰もがそれを追い求めて、多くの時間と労力を掛けて真剣に対処している。歴史は遊びでは無いし、ゲームでも無い。批評に耐え得ないものは去るしかない。厳しい世界なのである。

◎ここ数年、中国浙江省舟山群島、寧波、会稽(現在の紹興)を歩き回っている。以前は大和地方や鹿児島県ばかり歩いていた。中国浙江省舟山群島、寧波、会稽(現在の紹興)を歩いていると、いろいろなものが見えて来る。やはり、「魏志倭人伝」は中国から見ない限り、その真意は見えない。そんなふうに感じた。

◎「完読魏志倭人伝」発刊から丸4年。「完読魏志倭人伝」を出版したことが間違いでなかったことを痛感する。誰もこういうふうに「魏志倭人伝」を読んでいない。間違いなく「魏志倭人伝」は『完読魏志倭人伝』が読むように読むべき本であると再認識した。

◎その「完読魏志倭人伝」も、その後中国を訪れたりして、多くの検証を重ね、論の補強も完全なものになりつつある。出来れば、新書版くらいで、分かり易い「魏志倭人伝」の案内書を書いてみたい。

◎邪馬台国は論証に拠り、完全発見されているのだが、卑弥呼の墓がまだ未発掘となっている。そろそろそういう問題にも取り掛かる時期であることも判っている。もし、まだ卑弥呼の墓が存在するとすれば、もう少し時間を掛けることによって、間違いなく発掘することが出来ると思っている。本当は、ここからが考古学者の出番なのである。