中西進名誉教授に聞く~其の六~ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○日向神話の最後が神武東征であることは言うまでもない。つまり、日向神話は大きく、
  ・天孫降臨神話
  ・海幸山幸神話
  ・神代三山陵
  ・神武東征
に集約されるのではないか。

○もっとも、正確には神武東征は日向を離れてからの話が中心となる。日向神話として扱われる神武東征は、神武天皇御発航伝承地くらいのものではないか。私が知る限り、日向の地で、神武天皇御発航伝承地とされるところは、次の三ケ所である。
  ・宮崎県日向市美々津:立磐神社
  ・鹿児島県霧島市福山町福山:宮浦神社
  ・鹿児島県肝属郡東串良町柏原:戸柱神社

○このことについては、本ブログではすでに詳しく検証済みである。
  ・書庫「邪馬台国その後」:ブログ『神武東征ーお船出の地ー序章』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/8053931.html
  ・書庫「邪馬台国その後」:ブログ『神武東征ーお船出の地ー美々津』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/8120416.html
  ・書庫「邪馬台国その後」:ブログ『神武東征ーお船出の地ー宮浦神社』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/8165840.html
  ・書庫「邪馬台国その後」:ブログ『神武東征ーお船出の地ー東串良町柏原』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/8247070.html

○別に、「神武天皇御発航伝承地」と題したブログも書いている。
  ・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『神武天皇御発航伝承地』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36165944.html

○神武天皇御発航伝承地が何処であるかは、当然、神武天皇がそれまで生活してきた場所が問題となる。神武天皇は、神代三代目の彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の子供である。その神代三代の御陵が、
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵
であることを考えた場合、そこから離れたところに神武天皇御発航伝承地が存在することは考えにくい。

○そう考えると、神武天皇御発航伝承地は、東串良町柏原の肝属川河口とするしかない。肝属川の上流に、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵である吾平山陵が存在する。

○結構、神話はよく出来ているのに感心させられる。例えば、神武天皇が何処で生まれたか、ご存じだろうか。神武天皇の幼少時の御名は「狭野尊」と申し上げると「日本書紀」には記し、宮崎県西諸県郡高原町狭野がその地であるとされ、そこには狭野神社が鎮座まします。

○それでは、神武天皇の御陵が何処にあるか、ご存じだろうか。奈良県橿原市大久保町に存在する畝傍山東北陵が神武天皇の御陵とされる。隣接して、橿原神宮が鎮座まします。

○本ブログでは、南九州に存在する邪馬台国三山(仮称)、
  ・畝傍山=霧島山(1700叩
  ・香具山=桜島山(1117叩
  ・耳成山=開聞岳(924叩
のレプリカが奈良県に存在し、大和三山と呼称されていることを案内している。その大和三山が、
  ・畝傍山(199.2叩
  ・香具山(152.4叩
  ・耳成山(139.7叩
である。つまり、神武天皇は、「畝傍山=霧島山(1700叩法廚力爾農犬泙譟◆崟λ技魁複隠坑后ィ沖叩法廚力爾冒鬚蕕譴討い襪海箸判る。おそくら、大和三山は、それに因んで命名された名であろう。

○奈良県橿原市の地名にしたところで、同じである。別に奈良県橿原市付近に橿原が存在したかどうかは、どうでも良いことである。もともと、橿原地名は、神武天皇御発航伝承地の地名をそのまま奈良県に持ち込んだものに過ぎない。

○だから、神武天皇が南九州から持ち込んだ地名「大和三山」より古い大和地名は奈良県には存在しない。また、大和地名を奈良県で説明することは出来ない。同じように、大和三山である「畝傍山・香具山・耳成山」の名を、奈良県では説明することは誰にもできない。ところが、南九州では「畝傍山・香具山・耳成山」の名を、きれいに説明出来る。それは、大和も橿原も「畝傍山・香具山・耳成山」も、南九州から勧請された地名であるからに過ぎない。

○「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」をよく読むと、こういうことが判る。さらに「魏志倭人伝」を読むと、邪馬台国は南九州に出現する。したがって、三世紀に、邪馬台国や狗奴国、投馬国が南九州に存在したことは間違いない。「古事記」「日本書紀」「万葉集」「魏志倭人伝」の全てが一致していることを覆すことは誰にも不可能だろう。

○近い将来、日本の歴史は、そうなるしかない。神話を楽しむと、そういうことが判る。2013年12月12日、宮崎日々新聞に載った「中西進名誉教授(京都市立芸術大)に聞く」記事は、たいへん参考になった。感謝申し上げるばかりである。