おしえて邪馬台国6 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○2013年10月22日版、朝日新聞32面に、随分久し振りに「おしえて邪馬台国」が出ていた。小見出しと前書きは、次の通り。

      魔よけ 卑弥呼も学んだ?
      四つ目の方相氏 浮かぶ影
   「魏志倭人伝」に登場する弥生のクニグニは、古くから中国や朝鮮半島と交渉を持った。
  北部九州の遺跡で出土する数々の舶来品はそれを証明するが、思想や祭り、精神文化といった
  ソフトもまた、盛んに流入したことだろう。たとえば、「方相氏」という邪悪なものを威嚇する
  異形の人物が、近年クローズアップされている。

○卑弥呼とあり、「魏志倭人伝」とあるから、相当確かな根拠のある話だろうと期待して読んだ。本文の冒頭は、次の通り。

   北九州市立いのちのたび博物館で開催中の「邪馬台国が見える!! 古代日本の原風景」展(11
  月4日まで)。会場の真ん中に、ある石棺の一部が展示されていた。
   2010年、城野遺跡(同市小倉南区)の方形周溝墓に納められた石棺の内側に不思議な絵が見つ
  かった。時期は3世紀前半、卑弥呼の時代だ。真っ赤な顔料の上に細い線描き。見ようによっては両
  手に盾と戈、複数の目を持つ顔のようにも見える。かなり薄れてはいるが、古代中国に起源を持つ
  「方相氏」ではないか、との指摘がある。

○どうやら、『城野遺跡(同市小倉南区)の方形周溝墓に納められた石棺の内側の不思議な絵』が、3世紀のものであり、それで、北九州市立いのちのたび博物館で「邪馬台国が見える!! 古代日本の原風景」展と銘打った展示会が開かれていることらしい。

●少なくとも、「魏志倭人伝」を読めば、北九州市から邪馬台国が見えることはあり得ない。それなのに、堂々、「邪馬台国が見える!! 古代日本の原風景」展と銘打った展示会を開くことが信じられない。もう、こういう考古学者の妄想が通用する時代でも無い。

●こういう、考古学者の「魏志倭人伝」に全く言及しない邪馬台国論が堂々と発表されていること自体が大問題である。本来、卑弥呼も邪馬台国も「魏志倭人伝」に書かれた史実である。その「魏志倭人伝」を無視して、邪馬台国や卑弥呼が存在するはずもなかろう。こういう、考古学者の邪馬台国論は、まさに空中楼閣であって、全くの空論に過ぎない。

●実際、「魏志倭人伝」を日本で読んだところで、「魏志倭人伝」を読み解くことは、なかなか難しい。「魏志倭人伝」は中国の書物である。中国に出掛けて「魏志倭人伝」を読むと、「魏志倭人伝」の記録していることがどういう意味を有するかが、よく判る。

◎例えば、「魏志倭人伝」に、
  ・参問倭地絶在海中州嶌之上、或絶或連周旋可五千余里。
の記録がある。つまり、魏国が認識する倭国は『周旋可五千余里』内だと言う。これでは、北九州では収まりきらないし、畿内は範疇外であることがはっきりする。それも『周旋』できると言うのだから、魏国が認識する倭国は、九州島以外に考えることは難しい。

◎また、「魏志倭人伝」には、
  ・計其道里當在会稽東冶之東。
ともある。これも中国で考えると、よく判る。おそらく、『会稽東冶之東』は、『会稽東明之東』の誤記か誤写であろう。もちろん、『会稽』は会稽郡のことであり、『東明』は寧波を意味する。つまり、倭国三十国は、会稽郡東明(寧波)の東に存在すると言うことである。そのルートは次のようになる。
  【倭国在会稽東冶之東】
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
  ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
  ・トカラ列島悪石島→トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
  ・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
  ・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
  ・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧

◎別に、「魏志倭人伝」は、
  ・所有無與儋耳朱崖同。
とも記す。『儋耳朱崖』は、中国海南島の郡名である。つまり、「魏志倭人伝」に拠れば、海南島と倭国の風土が同じだと言う。この記録が何を意味するかを、誰も追求しようとしない。

◎これも、中国で考えれば、容易に説明できる。中国には伝統的に、倭は百越の一つだとする考えがある。「魏志倭人伝」の『所有無與儋耳朱崖同』は、陳寿がこの考えを記録したものに他ならない。つまり、百越の南端が『儋耳朱崖』であり、百越の東端に倭国が存在すると言うに過ぎない。もちろん、同じ百越の一つだから、その習俗や風土が同じだと言うわけである。

◎このことを検証するために、2009年7月、2012年5月、2012年12月と、3回、吐噶喇列島を訪問し、硫黄島も、これまで6回訪れている。
  ・2009年5月30日(土)
  ・2009年6月11日(木)
  ・2010年10月30日(土)・31日(日)
  ・2011年3月13日(日)から18日(金)
  ・2011年11月25日(金)から29日(火)
  ・2013年2012年8月22日(水)

◎陳寿が「魏志倭人伝」で案内する主題は、もちろん、倭国三十国の全貌以外に考えられない。陳寿は「魏志倭人伝」で、見事に、倭国三十国を紹介してみせる。
  【倭国三十国】
  渡海三国      狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  北九州四国    末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  中九州二十国  斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国・
             姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
             鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  南九州三国     投馬国・邪馬台国・狗奴国

◎ついでに、帯方郡から邪馬台国までの道程も案内しておく。
  【帯方郡から邪馬台国への道のり】
  ・帯方郡→狗邪韓国     七千余里
  ・狗邪韓国→対馬国      千余里
  ・対馬国→壱岐国       千余里
  ・壱岐国→末廬国       千余里
  ・末廬国→伊都国       五百里
  ・伊都国→ 奴国        百里
  ・ 奴国→不弥国        百里
  ・不弥国→投馬国     千五百余里
  ・投馬国→邪馬台国     八百余里
  ・末廬国→邪馬台国     二千余里

◎こういうふうに、陳寿の「魏志倭人伝」は、実によく出来ている。「魏志倭人伝」には何の疑問も問題も無い。しかし、こういうふうに、陳寿の「魏志倭人伝」を読み解くことは、多分、日本に居ては出来ない。中国でしか、それは読み解くことは出来ない。

◎この二年間に、七回、会稽(現在の紹興市)や寧波を訪れて来た。随分、時間は要したが、陳寿の「魏志倭人伝」を完璧に読み解くことが出来た。

○2013年10月22日版、朝日新聞32面の「おしえて邪馬台国」を読んで、まだ、こういうふうにしか、倭国や邪馬台国が理解されていないことに驚く。新聞は、随分、時代から遅れている。

○もともと、卑弥呼も邪馬台国も「魏志倭人伝」に記された史実である。その「魏志倭人伝」を離れて邪馬台国や卑弥呼が出現することはあり得ない話である。考古学者が日本中を掘り尽くして、邪馬台国や卑弥呼を探索する方法は、まるで誤った手法であることに気付かない。

○そういう考古学者によって、誤った歴史認識が堂々と日本の古代歴史として紹介されている。中国はまるで違う。中国は文字の国である。中国では古代歴史は文学として認識されている。そういう中国から日本を眺めると、何とも日本は貧しい国だとしみじみ思う。