賀知章:詠柳 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○绍兴の贺知章秘监祠を訪れ、これまで、李白「対酒憶賀監」・「送賀賓客帰越」、杜甫「賀公雅呉語」、蘇軾「送銭穆父出守越州」詩を紹介して来た。それで、肝心の賀知章の詩を案内しないでは、画竜点睛を欠くこととなる。幾つか、賀知章の詩を見てみたい。

○中国の「百度百科」が案内する賀知章には、次のようにある。

      贺知章
   贺知章(659—744),字季真,号四明狂客,汉族,唐越州会稽永兴(今浙江萧山)人,贺知章诗文以绝
  句见长,除祭神乐章、应制诗外,其写景、抒怀之作风格独特,清新潇洒,著名的《咏柳》《回乡偶
  书》两首脍炙人口,千古传诵,今尚存录入《全唐诗》共19首。
  【人物简介】
   贺知章(公元659年-744年),字季真,越州永兴(今浙江省萧山)人,少时就以诗文知名。唐武后
  (武则天)证圣元年(695)中进士,授国子四门博士,迁太常博士。后历任礼部侍郎、秘书监、太子
  宾客等职。为 人旷达不羁,有“清谈风流”之誉,晚年尤纵,自号“四明狂客”、“秘书外监”。八
  十六岁告老还乡,旋逝。属盛唐前期诗人,又是著名书法家。作品大多散佚,现仅存二十首。
  【作品】:贺知章的作品今存共十九题,二十首,断句一则。
    ‥眩擬匱乐章  顺和  B析臓 ´肃和  ヰ僅臓 ´Ъ?臓 ´福和
    太和  晓发  奉和御制春台望  望人家桃李花  送人之军
    奉和圣制送张说上集贤学士赐宴赋得谟字  奉和圣制送张说巡边
    题袁氏别业  衛虧? ´穏莲曲  害乡偶书二首  甘曺士
    ‘々Щ呶复仇  断句

○賀知章の作品としては20首ほどが残されているらしい。その中で、中国で著名な作品は『咏柳』と『回乡偶书』の両首だと言う。最初に、『咏柳』を紹介する。

      詠柳
       賀知章
    碧玉粧成一樹高
    万条垂下緑絲絛
    不知細葉誰裁出
    二月春風似剪刀

  【書き下し文】
      柳を詠む
       賀知章
    碧玉の粧ひを成す、一樹の高き、
    万条の垂れ下る、緑絲の絛。
    知らず、細葉は誰が裁ち出づるを、
    二月の春風は剪刀に似たり。

  【我が儘勝手な私訳】
    春になると、柳の木は青々と粧い、その木の何と高いことか。
    無数の緑の糸が枝垂れて、其の下端は、今にも川面に届こうとしている。
    あの柳葉は、誰があのように細かく切り裂いたのだろうか、
    二月の春風は、柳葉を切り裂く裁ち鋏のように、鋭く、冷たい。

○中国では、よく、枝垂れ柳に燕が飛んでいる画を目にする。まさに、あの風景が賀知章の『詠柳』詩なのではないか。

○今年、3月に、普陀山・余姚・紹興・杭州と歩いて来た。ちょうど、季節柄、柳が見事であった。特に杭州では、町中を滑るように走る公交水上バスに乗ったが、岸辺に立つ柳の枝垂れは素晴らしいものであった。なかなか日本では、ああいう風景を見ることは少ない。

○「江南の春」の一風景が、賀知章の『詠柳』詩なのではないか。また、それは、中国を代表する風景の一コマでもあろう。

○別に、杭州西湖の柳も見事であった。楊万里は『曉出淨慈寺送林子方』で、

  曉出淨慈寺送林子方
        楊万里
    畢竟西湖六月中     畢竟、西湖は六月中なり。
    風光不與四時同     風光は四時と同じからず。
    接天蓮葉無窮碧     天に接して、蓮葉は碧に窮まる無く、
    映日荷花別樣紅     日に映じて、荷花は別樣、紅なり。

と詠じて止まないけれども、二月中の西湖もなかなか棄て難い。朝の散歩に、孤島までタクシーで行き、白堤を歩いてホテルまで帰ったが、二月中の西湖の景色を存分に味わうことが出来た。